チャイルドコール 呼声



面白かった。作り手の性というより多分たまたまそうなったんだろうけど、今年で言うなら「アルバート氏の人生」(感想)のような、人と人との繋がりによって何かが生み出される物語に思われた。


ノルウェーの郊外の団地。冒頭、息子を連れて引っ越してくる主人公アナの姿に、こんな薄らぼけた色合いの衣装のノオミ・ラパスは初めてだと思う。彼女は自分の衣服に執着があるようで、終盤とある理由で着替えさせられた際には「服を返して!」と憤り、汚れた上着だけでも羽織って帰る。
彼女が外出時に肩から掛ける、ばかでかいかばんも印象的。何をするわけでも無いのに何が入っているんだろう、と思わせられるこのかばんは、彼女を「内」に閉じ込める錘のようにも感じられる。ベビーコール(原題)の混線に気付き、「取扱説明書」を読み、息子の描いた絵をつかんで「外」へ出て行く日、彼女は初めてかばんを手放すのだから。もっともその後、新たな波に襲われ、またかばんを提げるようになるんだけども。


アナと息子アンデシュの関係は「男女の仲」のようでもある。彼女はベビーコールの片方を、ベッドサイドではなく隣の枕に置いて眠る。冷蔵庫に貼った「友達」ヘルゲ(クリストファー・ヨーネル)の写真にアンデシュは怒る。彼の友達が彼女の手をそっと握るのも(後にその「理由」が分かるんだけど)、どこか性的な匂いがする。
ヘルゲはアナに対し「君は僕の母親に似ている」と何度も言う。酒を飲み、煙草を吸う、ということは彼女はしないけど、心配性で「優しすぎる」ところ、あるいは妙な言い方だけど、口には出さない、表現できない部分を似ていると感じているんじゃないかと思う。ともかくアナとヘルゲの関係は、母と「成長した息子」との関係と言える。アナの息子への愛、アナとヘルゲの間の愛、ヘルゲの母親への愛、全てが「男女」の仲、「親子」の仲、などと一概に割り切れない、でも確実な「愛」で、曖昧さをそのままにしておくその感じが、見ていて気持ちよかった。


アナとヘルゲのやりとりは、最近観た映画の中で一番好きな「ラブストーリー」でもある。ヘルゲは、アナが身に着けているものを売ってるようなショッピングセンターの家電売場の店員。短く整えた髪(パンチパーマ風、とも言える・笑)に、がっちりした肩をきちんと包むオレンジの制服が好もしい。
アナが息子以外に一緒に笑い合うのは彼だけだ。「あなたって優しい人ね」「でも(君はそのことを)忘れちゃうんだよなあ」なんて、まさに「心が沿う」一瞬に笑いがはじける。その後の自宅デートのディナーでのやりとりも同じ。ヘルゲが「気が合う相手と出会えてよかった」と言うのも分かる。どちらも「友達が居ない」ようだけど、アナの場合はそのことを後ろめたく、同時にどうせ私なんて、と感じているらしく、その点に付け込まれる場面が何度かある。


(以下「ネタバレ」に近いこと)


アナは「記憶が真実とは限らない」と言う。自分のことを顧みても、昔の思い出など、いくら「覚えて」いようと、それが「真実」であるという証明は出来ない。この映画は、そういう基本的な哲学の問いにそっと触れてくる。そこが面白い。
ある程度の「真実」なら、始めの方で「分かる」。冒頭、隣に寝ていた息子が気付くと「自室」のベッドに移っているが、後日「もう一緒に寝ないの?」と自分から言う(一人で寝たがっているわけではない)…などの出来事の混乱からも想像がつくし、カメラという古典的な小道具による手掛かりもある。しかし本作における「真実」は目的じゃなく、サスペンスを味わうための手段に過ぎない。ラストに至っても、全て「合理的」に説明が付くわけでは無い。このあたりのバランスが、私にはちょうどよく思われ、楽しめた。