シャドー・ダンサー



公開初日、シネスイッチ銀座にて観賞。超好み、とても面白かった。


70年代の北アイルランドIRAの幹部?の男の家。「父の息子たち」の中に娘が一人、おしゃれと音楽とお茶を楽しもうとしている。ある悲劇が起き、首飾りは「こんなもの!」と放り出され、涙にくれる目の前でドアが閉められる。その日から、彼女がそうしたものを楽しむことは無くなった。長じた彼女は、死んだ弟の代わりに「家業」に加わった。


場面替わって90年代のロンドン。大きなバッグ…バレッタで留めた髪、ひらめく服、ぺたんこの靴。カメラは電車に乗り込むコレットアンドレア・ライズブロー)に貼りつく。「ウォリスとエドワード」(感想)の時には猫のように見えた彼女が、本作では何にも見えない、というか、当たり前だろって感じだけど、まさに「人間」にしか見えない。
彼女が電車に乗り、降り、駅の構内を歩き、ホームから脱出する、というそれだけのこのくだりからして、地味ながらサスペンスフル。以降、時間が進むほどに緊張感が高まり、どきどきが止まらなかった。


MI5に捕えられたコレットは、捜査官マック(クライヴ・オーウェン)から、息子と引き離される(刑務所送りになる)のと引き換えに内通者になるよう迫られる。その代わり、自分が命を賭けて守るからと。
「あなたがしくじったら私は死ぬわ、だから本名を教えて」で始まる二人の関係は、いわゆる「甘い」ものでは全く無い。モニター越しの監視、破られる最初の「約束」。二人の場所である埠頭は、その時々で様々な顔を見せる。会う時は少ないけれど、会っていない時にこそお互いに縛り縛られ、それが爆発する瞬間もある。予告編の際にはクライヴに少々違和感を覚えたものだけど、観ているうち、彼でなければと思わされた。


IRAの幹部が男性ばかりなのに対し、MI5には女性上司がおり、きれいな家で休日を楽しんでいる。コレットの家の裏の高い塀(彼女はその鍵をきちんとしめる)に対し、女性上司の家の前には瀟洒な垣根。この話ではたまたまそうなのかなと思ったけど、冒頭の一幕からしても、表立って訴えてはいないけど、アイルランドにおける男社会の哀しみが描写されているのだろう。コレットの兄や弟は独身で、彼女の息子に家族の期待が一丸に掛かっている。「マッチョ」なふうでもない彼らが独りなのは、(父親の世代とは違い)世帯を持つ余裕が無いということなんだろうか。
仕事を離れて家族と過ごしている上司が、マックに「一人なら呼んだのに」と皮肉っぽく言うあたり、彼もコレット同様、組織の中でのはぐれ者であることが分かる。こちらにはこちらで、同調圧力のような息苦しさを感じる。


コレットの兄にエイダン・ギレン(セクシー!)、マックの上司がジリアン・アンダーソンという、キャスティングがなかなかツボ。
また観ながら「東ベルリンから来た女」(感想)を思い出した。ああいう人肌めいた温かさ、舞台となる土地の愛想は本作には無いけれども。あの「ゴム手袋」が、こちらでは「ビニールシート」になるわけだ。