王になった男



公開二日目、新宿バルト9にて観賞。朝鮮15代王・光海君の「空白の15日間」において、王の影武者となった男の物語。


とても面白かった。イ・ビョンホンの「大便」シーンに満席の場内は笑いに満ち、一体感が生まれる。見辛い席だったけど休日に出向いてよかった。


「妻」に恋したイ・ビョンホンがうきうきと塀の向こうから顔を出すのに、大傑作「拝啓、愛しています」(感想)の似たような場面を思い出す(イ・ビョンホンの演技も素晴らしいけど、「イイ顔」度は爺さんイ・スンジェの方が上!笑)。「お約束」の数々を細やかに、笑いで味付けして観せてくれるのも同じ…と思ってたら、どちらもチュ・チャンミン監督によるものだった。そりゃあ思い出すはずだ。笑えるうんこネタが出てくるのも同じ、まあ「老人」「王」共にうんこ問題はつきものだからね(笑)
ともかくその「心ある職人」ぶりに感動し、最も次の作品が楽しみな監督の一人として、「モリエール」「プチ・ニコラ」のローラン・ティラールと同じ心の箱に入れた(「著名人の空白期もの」「大規模な企画もの」を手掛けている点も似ている)。こういう監督さんが居る国は幸せだと思う。日本にもし居るとしたら、誰になるのかな。


韓国映画らしい流麗な音楽をバックに、「実用的」な女官達の手によって「王」になってゆく男…長椅子のイ・ビョンホンの余韻に浸る間もなく、「王」の日常が手早く示される。畳み掛けられるようで少々戸惑っていたら、程無く私たちは、「王」の影武者と一緒に宮中のしきたりや「法度」に直面することになる。同時に進行する「妻」への恋、事情を知る数名の側近との交流、ばれやしないかという危機。よくある物語に見慣れた、あるいは期待してしまう要素があますところなく盛り込まれている。
冒頭、謀反を怖れる「王」の目は血走っている。一方、影武者の目に初めて、違う意味で血が上るのは、まだ幼い女官サウォルの身の上話を聞いた時。これを切っ掛けに、彼は「王」になってゆくのだった。終盤、威厳を身に付けた彼の前では、口を開かずとも罪人が告白を…って、「やらなきゃ殺される」事情があった彼女は、あの後どうなったんだろう?
観ながら、政治をする権利は誰にあるのか、そもそもそういう権利はあるのか、どういうものなのか、なんてことを考えた、というか心に「引っ掛かった」。「政治」に詳しい人の感想を聞いてみたい。このあたりの「問題の大きさ」が、本作より「拝啓〜」の方が好きな所以かな。


「道化」だった彼が、「王」の前でその真似をする、すなわち演技をする。イ・ビョンホン(の演じている役)がイ・ビョンホン(の演じている役)の真似をする「だけ」の場面なのに面白いという、映画の魔法。
サウォルが王の言葉をよそで伝える際、大して上手くもない口真似をするのも、(そんなこと「ありえない」と思うんだけど)、王を慕う彼女の心情だけじゃなく、演じることの楽しさを表しているようで面白い。「王」の「真似」と比べて、「演技」にも色々あるんだなあと思う。また官僚たちが何かというと「殺してください」「踏んでください」と唱えるのも、何らかの役を演じているようだ。
影武者として「上奏の儀」に使われる文章を練習する際、長官ホ・ギュン(リュ・スンリョン)の顔には心打たれたような表情が浮かぶ。それは「王」に「似ている」からなのか、それとも他の理由か。儀式の際、結局自分がそれを読み上げるはめになった時、彼はどんな心持で臨んだのか。


一人二役だから、病に伏せってほとんど出てこない「本物」の方も影が薄くならない(だってこっちもイ・ビョンホンなんだから・笑)のはちょっとずるいよなあ、なんて思っていたら、見事なエンディングに大満足。かなり「甘い」けれども。イ・ビョンホンの足取り、履物、そして手が印象的だった。