グォさんの仮装大賞



オープニング、まるでメリエスの映画をナマで見るかのような楽しい芸を披露する一人の男。彼、チョウさん(ウー・ティエンミン)は驚く仲間に「テレビで見た仮装大会の真似だよ、俺達も出ないか」と呼び掛ける。この「仮装大会」とは日本で放送されている「欽ちゃん&香取慎吾全日本仮装大賞」の中国版で、作中のセリフによると「三位以内に入賞すれば日本の大会に出られる」。彼が番組への出演、そして「海」にこだわる理由が、物語の最後に明かされる。


舞台となる老人ホームに暮らす人々の日常が次から次へと映し出される。車椅子で筋トレをする者、看護師をだまくらかして酒を飲む者、浴室に腰掛けた、あまりにしわしわの上半身からカメラが移動すると映る顔、その表情の凛として美しいのに胸を打たれた。そして扉が…一人じゃ開けられないほど重たい、外から入るのは簡単だが内から出るのは難しい扉がぎーっと閉まる。


妻を亡くしたグォさん(シュイ・ホァンシャン)は、友人のチョウさんを頼ってこのホームにやってきた。鉢植え一つと、孫の結婚式で贈ろうとするも複雑な顔で拒否された、家を処分しての大金を持って。
チョウさんの「ここはにぎやかだよ」から場面一転、夜になると、同室のチョウさんのいびきやら「認知症」の男のわめき声やらで騒々しいったらない(チョウさんもうるさいのか、彼と頭を逆にして寝ているのが可笑しい)。同じ「老人」といっても事情はそれぞれ、互いに羨みあうが、酒飲みの男いわく「文句を言っても仕方ない、明日は明日の風が吹く」(原語では何と言っているんだろう?)


ホームは古色蒼然といった感じの素敵な建物で、室内も寒い時季じゃなきゃ快適そうだけど、天井高があるから階段の上り下りが大変そうだし、トイレも「一段」のぼらなきゃ用が足せない。立派な門の横に刻まれた標語?はどういう意味なんだろうか。
所長を演じているのはイ・ビョンホンにも似た男前の女性。彼女の役がとてもいい。映画自体は「ベタな人情コメディ」とも言えるけど、彼女のキャラクターはベタじゃない。老人達は家族や亡き伴侶の写真を飾っているが、彼女が机に置いているのは自分の写真。それが多分、まだ若いってこと。しかし勿論、彼女には彼女の苦労があり(「責任逃れではなく責任が『取れない』のです」というセリフが印象的)、「老い」に対する思いがある。預けた父親を悪し様に罵る男性に対し「あと何日一緒にいられるか考えたことはありますか?」なんて言う場面も、うざいほど長いんだけど悪くない。


グォさんとチョウさんがホームを抜け出しスタッフがあっけに取られる中、同室の男がベッドから窓の外に向けて紙飛行機を飛ばす場面で突如映像がスローになるので妙だなと思っていたら、これは老人達が「風」を感じる、「風」になる映画でもあるのだった。
重い扉の向こうへとくたびれたバスが出発すると、カメラは彼らの長旅をしつこい程じっくり映し出す。中国の地理に疎い私には老人ホームがどこにあるのか分からないけど、大都会の天津までは道中二泊もしなきゃならないほどの距離のよう。途中で遊牧民族に出し物を見せ、泊めてもらうくらい。山を越え川を越え、牛が横切り馬が伴走する。バスの開け放たれた窓からの風に、皆がそよぐ。やがて隣を走るのは高速列車になる。


開催地を目前にして倒れたチョウさんを病院に運んだ後、グォさんが皆に向かっていわく「自分達が今できるのは、彼を喜ばせることだけ」。誰だって人の手を借りることがあるんだから、自分が出来る時に誰かを喜ばせるってのはいい。それを聞いた、チョウさんを自分の夫と勘違いしている婆さん(リー・ビン)は、病床の彼の手を取り「ここに居るから、笑い話でもしてよ」。瀕死の老人に話をしろなんて笑っちゃうけど、チョウさんはにこやかに「お前がいて幸せだ」。喜ばせる相手は「誰」だっていいのかもしれない。そういう話って好きだ。