あの日 あの時 愛の記憶



アウシュビッツ収容所から脱走するも生き別れた恋人たちが、39年後に再会した」という実話を元にした作品。


「記憶とは不確かで断片的なもの、それが今も私を刺す…」オープニングは「現在」のハンナが机に向かって文章を綴っている姿。予告編から勝手に、かつての「愛」にどう折り合いを付けるのかという話だと思っていたら、そうではなく、映画はほぼ全篇、邦題通り「愛の記憶」であふれている。何十年も彼女の中に在ったそれらが、「彼」の生存を知ったことにより炸裂した、その「時」が描かれている。
「現在」の彼女はこれからどうするんだ、とやきもきしながら観ていたら、冒頭から彼女が書いている文章の「正体」が分かり、ああだからこれでいいのか、と納得できた。でもその「結び」に到るまでに興味があったので、少々拍子抜けしてしまった。


ハンナが「彼」の生存を知るのは、ブルックリンのクリーニング屋のテレビの画面。彼女が店に行ってカバンを探る→帰宅して家族に声を掛けられる、という場面が二度繰り返されるのは、そのショックの程を表してるんだろうか?
テレビの中の彼は語る、「まず彼女を見て、それからパンをあげたんだ、そうしたら気持ちが伝わった」。収容所での短い逢瀬では、二人ともパンも食べたいしセックスもしたいしで慌しい限り。回想シーンにおいて(彼女の知り得ない場面なので「記憶」ではない)、彼が「変装」のために眼鏡を外して不自由する場面の後、「現在」に戻ると、初老のハンナが資料を見るのに老眼鏡をかける、というのは面白く感じられた。
そして、ユダヤ人のハンナを息子から遠ざけたい母親(ステファニア・リマノフスキ…ハネケ作品の常連役者、シアーシャ・ローナンの30年後にも見える・笑)が、彼女をかくまっている家にドイツ兵を入れ運を天に任せる…この一幕が、「記憶」の中で最も時間を取ってるというのは何となく可笑しい。


私としてはやはり、「現在」のハンナとその家族の方に興味がある。幻の「彼」に抱き付いた後、よれたシャツと下着姿の夫の頬にそっと触れるハンナの、何かを悟ったような顔。20代であろう娘が、挙動不審の母親に「浮気じゃないよね、その年で」と冷たく言っていたのが、父と三人の席で「資料」を見せられると「優しそうね、帽子がちょっと変だけど…」とファイルを閉じ、母親の肩にそっと触れて出て行く、この時のハンナの「笑顔」。いずれも素晴らしかった。
一方「彼」の方は妻と離婚しており、だからというわけじゃないけど、最後に身支度する彼を娘が少々あきれ顔で見てるのが、どことなく心配というか、ハンナと彼の「現在」はすれ違ってるんじゃないかとも思わせられた。そんな想像もできてしまうのが、面白いといえば面白い。