別離



公開二日目、ル・シネマにて観賞。「彼女が消えた浜辺」(感想)のアスガー・ファルハディ監督作。とてもよく出来てるけど、なんだかもうちょっと、違う映画が観たいなと思う。


冒頭、(日本版の)ポスターで見た二人がこちらに向かって話し始める。娘の将来のため国外移住を望む女性と、認知症の父親を抱え出国を拒む男性、間に椅子一つ分空けて座る彼らは夫婦だ。こちら=カメラ=家庭裁判所の所員は、離婚許可を申請する妻に「この国には未来がないとお思いですか?」と問う。夫は妻を、後の場面で「逃げているだけだ」と責める。彼女は最後まで、はっきりした理由は口にしない。


「この国」=イランはどういう状態なんだろう?と思いながら見ていると、まずは何度も出てくる裁判所の混み様がすごい。廊下にあふれる人、人、怒鳴り声に子どもの泣き声。他の部屋では、どんな問題が取り上げられているんだろう?ちなみに最後の裁判所の場面の始めに挿入される眠りこけた男の子や、突然笑わせられた「手錠」は、何ともリアルで、その場で急遽撮られたものかな、なんて勝手に想像してしまった。


妻シミンが家を出たことにより、夫ナデルは父の世話のためラジエーという女性を雇う。ここからの展開は、まるで、そっと転がした小さな車(=別居)が周りのものをどんどん引っ掛けてえらいことになっていくかのよう。その主な「要因」は、おそらく今のイランならではの事情にあるものの、広義にはどこの誰の身に起こってもおかしくないと思われ、映画館でのんきに座ってていいものだろうかとお尻がそわそわした。


本作はミステリーでもあるが、全てがあやふやで、そこが面白い。「真実」なんて過ぎてしまえば存在しなくなる、物事はそんなものだろう。
とはいえ「真実」が見えづらいのには、「今のイラン」ならではの理由もありそうだ。そもそも認知症患者の「世話」のために「何者」でもない女性を雇う、という冒頭から少々驚かされてしまう。どこからどこまでが「仕事」という範囲も決まっていない。諸々の変化により家族の介護によその手を借りなければならなくなったが、体制が整備されていない、すなわち「昔」に「今」が流入してきたことが、「裁判所の混雑」に見られる混乱につながってるのかな?と考えた。また、守り合う「家族」の無い単身者はどういう暮らしをしてるんだろう?とも考えた。


家の中や車内など狭い所で撮られた場面が多いこともあり、役者さん達の横顔が印象的。ナデルが父親の体を洗いながら慟哭したり、病院で服を「着せ直す」場面も忘れ難い。途中から全く喋らなくなる当の祖父役の演技もいい。娘役の子は、鼻の下にうっすらヒゲ生えてそうなタイプだなと思った(笑・実際には生えてないけど)