ハラがコレなんで



冒頭、テレビの中の、リストラされた境遇を嘆くサラリーマンの姿に涙ぐむ主人公の光子(仲里依紗)。サラリーマンはまだ映ってるのにテレビを消してしまう。なぜ?と思ったら、デカ腹からも分かるように妊娠しているらしくトイレで嘔吐。吐瀉物が一切映らないのは最近の映画じゃ珍しい。それにしても、こういうくだりでいちいちテレビを消す描写は嘘っぽい。その後の、隣人とのタクアンのくだり、リサイクル業者?とのやりとりもいかにも絵空事で、乗れずにいた。
(ところで光子が外出時にマンションの鍵をかけないのは、「そういう映画」だからなのか、長屋精神からなのか、どっちだろう?)


しかし、雲の行方を追いかけたタクシーが止まり、運転手が感嘆し、「長屋」が映った瞬間、ああこういう映画なんだ、ファンタジーなんだと分かり、全てが「オッケー」になる。
「日本にやってきた外国人を助けた後でアメリカまで着いて行き、妊娠した後に捨てられた」光子は、ラストに野原で出産。「JUNO」の冒頭の薬局の場面を観た時にも思ったけど、「妊娠」、というか世の中で一大事とされてることがカジュアルに描かれるのって好きだ。自分はそういうタイプだけど世の中は違うから、映画くらい味方してほしいし(笑)そういうほうが皆も生きやすくなると思う。
いわゆる「継承」の話なのもいいなと思った。始め、光子ががまぐちに全財産を入れてるのはわざとらしく感じられるけど、回想シーンで大家さん(稲川実代子)のがまぐち下げた姿になるほどと思う。食堂親子(石橋凌中村蒼)の通帳だってそう。人と人との「継承」を大事にしながらも、土地や場所にはあまり執着しないところも好みだ。
冒頭の嘔吐の場面に始まり、汚いもの「自体」を全く写さないでおきながら、終盤いきなりうんこを見せるタイミングにもこだわりを感じ面白かった。


ただ「粋」というキーワードは無いほうがいい、ダサいにも程がある。しまいにはこの映画、光子さえ居なきゃなあ、あんなセリフ聞かなくても済むのに!などと本末転倒なことを思いながら観てた。
「粋」と言えば言うほど「粋」そのものから遠ざかっていくことを考えたら、「風の吹くまま、流されるまま」などと口にするのは、実際そういう性分じゃないから自分に言い聞かせてるとも取れる。前の段で「映画くらい味方してほしい」と書いたけど、ほんとは無言で何でもぽんぽんやってほしい。
文句の付けついでに、大家さんがママのお母さんにあんなこと言うのはどうかと思った。踏み込んじゃいけない領域だろう。


食堂親子のくだりは全てがカウリスマキ的だ。オマージュとかじゃなく、多分たまたま。
厨房で直立不動で並んでる登場シーンをはじめ、その後の「ボーイ・ミーツ・ガール」ぶり(正しくは「15年ぶり」)、光子が食堂を立て直すやり口、花一輪、最もそれっぽいと思ったのは「当番表」に丸をつけるとこ。ああいう小道具が上手い。


それから、鯉昇がまた出てた!(また、というのは「必死剣鳥刺し」でも突然出てきたから/見直したら予告編にもあの後頭部が映ってた)この映画に掛けて言えば、決して「粋」な落語家じゃないんだから可笑しい(私は大好き、むしろ粋じゃないから好きなのかも)