あしたのパスタはアルデンテ



題材から「キンキー・ブーツ」を思い起こしてたけど、勿論これはまた違う話。何度か遭遇した予告編の「家族だから、いつかきっと分かり合える」という宣伝文句に違和感を覚えてたけど、観てみたら、分かったふりをするような話ではなかった。めぐりめぐるようなカメラ、地に足ついた「幻想的」な映像が特徴。
原題は「浮遊機雷」という意味、作中そう呼ばれているのは主人公の祖母。決して「めでたしめでたし」という姿勢じゃないラストシーンが面白く、私には爆弾の群れが舞っているように思われた。それでいいんだ。


ローマで恋人と暮らすトンマーゾの実家は、「家名」という名の老舗パスタ会社。彼は兄アントニオの社長就任を祝う集まりで、家業を継がず小説家になること、同性愛者であることを告白すると決めていた。しかし先にアントニオが「ぼくはゲイだ」と発表。父親は兄を勘当し、トンマーゾを跡継ぎとして引き留める。


こんな邦題だけど、パスタはほとんど出てこない(…ことからも、終盤の展開の予想はつく)。祖母からパスタの食感のエロティックさを聞いたトンマーゾが、人目を盗んで数本むさぼってみるくらい(笑)
役員のアルバは、トンマーゾがパスタに飽きてると思ってか?彼を招いてのディナーにサンドイッチを振舞う。私の「イタリアのサンドイッチ」のイメージから離れた、耳を落として三角に切った白パンに、卵やブロッコリーをたっぷり挟んだもの。一家の食卓は家政婦の担当で「家庭的」ではない(が、指示はきっちりねっちり出す・笑)。朝のテーブルにもクッキーが並ぶ。そう、わけあって本作にはパスタより甘味が多く出てくる。


トンマーゾの母は胸に十字架のペンダント、父は入院先にも聖なんとかみたいな絵を貼っている。同性愛は「ありえない」が、長年の愛人がいる(この「愛人」がいかにもでいい)。
化粧気のない祖母がトンマーゾに言う「甘く耐え難い日々、実らない愛に終わりはない」という言葉は、借り物じゃない、心身からきた重みがある。もっともたまには、こういう婆さんじゃなくて爺さんが出てくればいいのにと思う。「女は強い」なんて無責任なことを言うやつが出てくるから(誰も強くなくてもやってける世界にしようと思わないのか?)。


町のかばん屋?で、母と叔母が近所の人と面と向かっての中傷合戦になる場面、場内は沸いてたけど、笑えなかった。自分がいくら考えを持ったところで、世界にはああいう場所があり、どこかで自分とつながってるんだもの。