黄色い星の子供たち



原題は「La Rafle」(一斉検挙)。ナチスの悪行映画は数あれど、フランス警察によるユダヤ人一斉検挙「ヴェル・ディヴ事件」を扱った作品は少ない(私は全く観ていない)。ともかくそれだけでも観がいがあった。上映前に流れた予告編によると、今冬公開の「サラの鍵」も同じ題材のよう。


ナチス占領下のパリ。物語の始め、ユダヤ人達は、胸に「星」こそ付けてるものの楽しそうに暮らしており、この微妙な時期ならではの「ユダヤ人あるある」とでも言うような描写が積み重ねられていく。ポーランドから逃れてきた一家では、父親が「ユダヤ人ジョーク」(「ヒトラータイタニックユダヤのせいで沈んだと言ってるぞ、『アイスバーグ』はユダヤの名前だからな」)や、「天才だからってユダヤ人とは限らない」などというセリフを口にする。娘はふさぎこんだ母親に「風と共に去りぬ」を読み泣いて発散することを勧める。違う家の母親として、シルヴィー・テステューが出てきたのが嬉しかった。本当は、辛気臭い役より明るい彼女が見たいけど。
こうした「庶民」の描写の合間に、「ヒトラー」がラジオ演説したりエヴァ・ブラウンの飲酒をたしなめたりする様子と、ナチスに検挙を要請されるフランス警察幹部の様子が挿入される。ヒトラーのパートがいまいちぱっとしないこともあり、妙にばらばらな感じを受けたけど、「守ってくれるはずのフランスが、まさか!」という思いもかけない状況を際立たせるためだろうか?


後半は、事件の名のもとになった「ヴェル・ディヴ」(冬季競輪場)と、そこから更に連れて行かれた強制収容所を舞台に、囚われたユダヤ人たちの状況が描かれる。ここにジャン・レノ演じる、自らも検挙者である医師と、メラニー・ロランによる看護師が登場。ユダヤ人と同じ食事を摂り自らがやつれることで境遇改善を訴えるメラニーとは対照的な、ジャン・レノの体格のよさが目立った。
競輪場の映像は初めて目にする類のもので、「ひとつところに大量の人間を入れる」ことが、たとえそれが一日目、二日目であっても、どんなに過酷であるかが分かる。原因は違うけど、ニュース映像で目にした、震災からの避難所の様子を思い出した。やっぱり、あれは人間の暮らす環境じゃない。


検挙の際、少年ジョーに対し、同じ建物に住む別の男の子が悲痛な別れを告げるが、本人は衝撃のためか無表情で階段を下りてゆくのが印象的だった。作中の様々な場面において、集団の中に色々な感情を読み取ることができる。囚われた者たちも反応は様々だし、再会できた夫婦に対する祝福の陰で憎たらしそうな目を向ける者もいる。
ラストは終戦後のひとコマ。「月の光」がエンドクレジットまで延々流れるのには、ずるい!と思ってしまった。だってあの一幕だけで、否応無しに感動させられちゃうもの。