フランス組曲



アウシュヴィッツ強制収容所で死去したユダヤ人作家イレーヌ・ネミロフスキーが執筆中だった「フランス組曲」を、彼女の「創作ノート」を参考に物語を完成させ映画化した作品。未完の原作と「創作ノート」を併せて刊行された「フランス組曲」は未読。


(以下「ネタバレ」あり)


事前には知らなかったけどキャストが超豪華、見逃さなくてよかった。アレクサンドラ・マリア・ララサム・ライリー、でも一番嬉しかったのは町の子爵のランベール・ウィルソン!「戦下の人々」を描いているので、それぞれに見せ場…「普通の人」が印象的な顔をふと見せる場面があるのがいい。とはいえ主役のミシェル・ウィリアムズクリスティン・スコット・トーマスの演技、それからマティアス・スーナールツの、私にはとても抗えない性的魅力は格別だ。


ブルーノ(マティアス・スーナールツ)が登場する時、まず気配が、次いで声がして、ようやく姿が現れるのは、リュシル(ミシェル・ウィリアムズ)が始め目を伏せているから。ブルーノを初めて見たその後ろ姿の、まとめた髪とうなじに漂う無垢そうな、従順そうな、悪く言えば愚鈍そうな感じが心に残る。しかし彼から「忘れ物」(それは「愛」なのだ)を受け取った翌朝からうなじは出さず、髪をおろすようになる。次第に家の外のことに目を開き、関与するようになる。


映画はリュシルが、義母のアンジェリエ夫人(クリスティン・スコット・トーマス)の外出の気配に目を覚ますカットで始まる。「町で一番のお屋敷」はアンジェリエ夫人の支配下にあり、「誰とも分け合わない」食糧を隠してある小部屋が彼女の心を表している(同様に、終盤彼女が「開く」隠し部屋やお金の入った小箱もその心の表れである)リュシルがブルーノと初めて言葉を交わすのは「家」の「外」の庭であり、後にワインを共にした晩、義母の帰宅と同時に裏庭へ逃れて彼の冗談に笑うのは、色々な意味で「家」から解放されたゆえだ。


マドレーヌ(ルース・ウィルソン)は「戦争は人の本性を暴く」と言うが、アンジェリエ夫人の場合は、始め、変わらない「ままであろうとする」のが「本性」かと思われる。自分でハンドルを握り、横から走ってくる車も爆撃を受けた死体も「見ない」。ドイツ軍がまいたビラが頭に落ちても払いのけ、自分の手で別の一枚を拾う(一方リュシルはその傍でそれを見る、当初の彼女は義母を疎ましく思いながら頼りきりである)それは子ども達が空を舞うビラを懸命に捕まえるのと、あるいは若い娘達がドイツ兵達の水浴姿を窓に鈴なりになって見るのと対照的に思われた。


しかしアンジェリエ夫人も変わる。最後には息子ではない「息子」を掻き抱く。彼女は「息子の服を身に着けた『彼』を見た時、守らなければと思った」と口にするが、それは「共同体精神は素晴らしい、個人のすることは無意味だ」と考えていたブルーノが、リュシルと親しくなり、彼女と並んだ視点でドイツ軍の乱行を見て「自分は違う」とはっきり言ったのを思い出させる。この映画には「人との関わりにより新たな視点を持てる」ということが描かれていると言える。


リュシルが「(あなたの命は)私には大切」と口にした時にははっとした。人は何かと何かを比べて「大切だ」と思いながら生きていくのではないか、これはそういう話なのではないかと思ったから。選択肢が狭まるとよりそこへと追い込まれ、選択肢がほぼ無くなると、もう、どうしようもないけれど。