ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路



「女の作曲」が許されなかった時代を生きた、モーツァルトの姉ナンネルの青春を描く。


私はナンネルの存在すら知らなかった。名前が残っていないことからして、「音楽の才能にあふれた」彼女の若き日の物語の結末は想像がつく。ラスト、家族と馬車で次の地へ向かう彼女の表情と、添えられた「その後」の文章に、なんともやりきれない気持ちになった。でも映画としては面白かった。


最近じゃ「アレクサンドリア」(感想)もそうだったけど、終盤不意に物語の始めを思い出し、こんなに遠くまで来たなんて!と思わせられる。ナンネルと、ルイ15世の末娘ルイーズとの再会。ドレス姿で修道院を走り回っていた彼女が黒服に身を包み、穏やかな顔で言う「私は今だって『ボロ雑巾』よ」「私たちが男なら、政治と音楽で世界を動かしたでしょう、でも神は私たちをそう作らなかった」。また彼女が、好きな男の父親が自分と同じであることを知り「彼の背後には悪魔(ディアブロ)がいたの」と言うのも印象的だった(これは先日「ザ・ライト」を見たからか・笑)。


映画は、ドサ回り中のモーツァルト一家が馬車から降りて用を足すシーンで始まる。父親レオポルドによる文章…演奏旅行の辛さを嘆くナレーション。がたがた道を何日もかけ、夜中に到着すれば倒れ込むように寝るだけ。金持ち連中は現金じゃなく煙草入れのような役立たずの品しかくれない。馬車がいく真っ暗な夜道やろうそくの灯りだけの室内、劇場で歌う口元の白い息など、暗く寒々しい当時の雰囲気がいい。
演奏会でのレオポルドの「クラヴィーアを、目隠ししても布を掛けた上からでも弾けます」なんて口上からも、彼らの「芸人」ぶりが分かる。もうじき12歳になるモーツァルトはいつまでも「わずか10歳」と紹介される。
ナンネルは「私の書いたどんな複雑な曲も弾きこなす」と父に評される。しかし彼女にとって、演奏と創造とは全く違うということが様々な場面から伝わってくる。弟と朝のベッドで歌い、寝間着のままクラヴィーアへ飛んでいって連弾する場面や、パリで一人暮らしの夜、椅子に座る前から指が鍵盤に乗る場面。物語の最後に彼女が作曲を諦めるのを「恋」とからめるのは、上手いけど少々ずるい描き方だと思った。


ナンネルを演じるのは監督ルネ・フェレの長女、ルイーズ役は次女。道理でどことなく似た…同じ種類の口元をしてるはずだ。モーツァルト役の男の子は役者じゃなくバイオリン奏者だそうで、姉に比べて演奏シーンはこなれた感じを受ける。
「女が音楽」映画つながりで「ランナウェイズ」(感想)同様、「初潮」を迎えるシーンがあった。その後、ナンネルと母がベッドに並んで語らう場面があたたかい。「孤児の身の上で音楽家に嫁ぎ、夫を敬愛する」母と、「私は普通じゃない」と言う娘。求める幸せは違っても、つながっている。もっともその後の「恋愛」談は、ちょっとロマンチックすぎないかと思わせられたけど(笑)