塔の上のラプンツェル



原作「ラプンツェル」は、子どもの頃、青地に金の線で絵が描かれた重たい本で読んだ(青空文庫収録のグリム版←私が読んだのはこれをふくらませたもの)。ディズニー映画版は「塔のてっぺんから出たことのない、髪の長い少女」というロマンチックなモチーフを使い、現代的な、楽しい物語に仕上がっている。


少々不満もある。原作では魔女は約束を破った夫婦の娘をさらう。映画ではそうした経緯はなく、ラプンツェルの「私は約束を破らないわ!」というセリフが妙に強調されているのに対し、魔女の方はほんとにただの「悪役」(考えたら「魔女」ですらない)。冒頭、魔女がラプンツェルの髪をつたって塔に上る場面に、スリル満点!といった感じのBGMが流れるので、「悪役」も魅力的に描かれるのかと思ったら、その後の魔女の歌&踊りも、そのキャラクターもいまいちなので拍子抜けしてしまった。
彼女が不老を願う理由もよく分からない(鏡に向かって言うセリフなどから、望みは「不死」ではなく若さと美だと分かる)。悪者二人組を誘惑して従わせるなど、「世の中ってそういう嫌なものだよなあ」という場面があれば、むしろ納得できるんだけど(笑)女が若さや美を望むのは資本主義と男性主義のせい…というのを通り越して、現代とは、ただ単にそれらを求める、いわゆる「美魔女」時代ってことなのか(笑)それなら余計、「リアル」なだけじゃない、強烈な魅力が欲しかった。


子どもの頃の私が好きだったのは、魔女が切り落としたラプンツェルの髪をつたって上ってきた王子が、塔から落ちて失明してしまうところ。うまく言えないけど、「悪意を持った表面的な美」に騙され、体に「障害」を負う…という所に何とも言えないエロスを感じた。映画でも一瞬、それを思わせるシーンがあるのでどきどきしたけど、全然違う展開になる。まあ現代じゃ、「失明を治す」という展開だと「盲目は『悪(治すべきもの)』なのか」ってことになるからダメなのかなあ。


トゥルー・グリット」と「塔の上のラプンツェル」は、「馬にはりんご」つながり。