クリスマス・ストーリー


作中の台所に飾ってあるアドベントカレンダーのように、断片が一つずつ開かれ、形づくられてゆく、といった感じの映画。「そこにある」ものを活かした楽しいシーンや、テレビで「映画」を観ている場面が多いこともあり、コラージュっぽい感じも受けた。



アベル(ジャン・ポール・ルシヨン)とジュノンカトリーヌ・ドヌーヴ)の夫婦は、フランスのルーべで二人暮らし。クリスマスを前に、ジュノン白血病に罹ったことが発覚。そして長女エリザベートアンヌ・コンシニ)、二男アンリ(マチュー・アマルリック)、三男イヴァン(メルヴィル・プポー)、そのパートナーや子どもたちがやってくる。


「家族の皆が音楽に造詣が深」いこともあり、なかなかの音楽映画でもあった。本当に色んな音楽が流れてくる。
冒頭、ドヌーヴ演じるジュノンの病気にまつわるシーンや、長女の息子のとある行為の場面で流れる音楽は、恐怖映画っぽい(バーナード・ハーマン?)。ジュノンが診療台で血を抜かれるシーンはライティング含め吸血鬼もののよう、全然違うけど「ショック療法」まで思い出してた(笑)こうした雰囲気は、未知のものに対する彼女の心理状態を表してるのかもしれない。
しかし、映画の最後に置かれた手術シーンはさわやかだ。自らの子どもの骨髄を移植することについて、彼女いわく「出したものをまた戻す」。長いとはいえない生存年数が算出されていながら、「新しい命」が誕生した印象さえ受ける。またこのくだりで、ジュノンの「無菌」ゾーンと、骨髄を提供したアンリのそうでないゾーンとの「区切り」が強調されているのも面白い。麻酔から目覚めたアンリは、慌てふためいて母親のもとへ向かう。


舞台は一軒の家…「家庭」だけど、そこには色々な人間がいる。中心にいるが周囲に関心を持たない者、皆をまとめようとする者、はじき出され戻ろうとする者、血のつながりも婚姻関係もないが意思によってつながりを持とうとする者、また「通りすがる」だけかもしれない者。
アンリの恋人であるフォニア(エマニュエル・ドゥヴォス)は、一家にとって「予期せぬ」初対面の人物。クリスマスは「一家で新聞を読んで過ごす」というユダヤ系であり、イブの前にアンリに見送られそっと帰宅する。「外部」者といっていい彼女が、ぶち切れるアンリを笑いながら眺める姿が楽しい。ドヌーヴと彼女が美術館で会い一緒にお洋服屋さんへ、試着しながらの会話の場面もいい。
「家族」があれば、それとリンクする「家族」がある。「家族」の物語に触れると、いつもそのことを思う。この物語は、たまたまある「家族」をセルクルで抜き取ったものなんだって。


上映時間は150分と長いけど、ごてごてした家の中を見ているだけでも楽しい。犬映画、ドールハウス映画でもあった(後者は始め何の気なしに見ていたら、途中である使われ方をする)。食べ物については、家族揃っての食卓が大々的に描写されるというより、映画の作りと同じく、単品で数多くが登場する。パパがこねてたのは何だったのかな?


いわゆる「確率」の話が出てきたので、昔から思ってることをまた思った。例えば「30代女性の4割はA、6割はB」という場合、「私」はAならA、BならBのどちらかだ。しかし、まるで「私」の中に「4割のA、6割のB」が存在するかのような捉え方をされる(ように感じる)場合がある。個人の問題なのに。



「死ぬときは死ぬ、それだけだ」


ところで、私が日本で観ている「現在のフランス映画」では皆めちゃくちゃタバコ吸ってるけど、実際の所、現地での体感はどんなものなんだろう?
イブの夜にドレスとタバコで「王座」に着くドヌーヴの姿は素晴らしかった。常備のマルボロでなく、細いの(何だったかな?)をくわえるメルヴィル・プポーにもしびれた。