卒業


(500)日のサマー」(感想)をもう一度観る前にと、作中出てくる「卒業」を借りてきた。前に観たのは昔のことで、ほとんど内容を覚えておらず、初めても同然。


卒業 [DVD]

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「僕は今、何もしてない、旅人なんだ」



1969年。「将来有望」な青年ベンが、大学を出て「何もしていない」間の物語である。
前半のひりひりした感じ。彼に人生設計を強いる周囲(エレーンも最初のデートで「大学院には行くの?」と将来について尋ねる)は無神経にも思えるが、彼自身も、例えばロビンソン夫人がタバコを捨てたゴミ箱を、本人の前でいつまでもいじっているような、そんなところがある。誰もがちょっとずつ身勝手。そんなものだ。


家庭周辺ではうっとおしいほど構われる彼だが、自分の望む所…逢い引き場所のホテルなど…ではまるで相手にされない。まだ「大人」じゃないから。それがロビンソン夫人と関係を持った途端、うるさいほど構われるようになる。ここのところが悪趣味なほどコメディタッチで描かれるのには、妙な感じを受けた。



ナンセンスな想像だけど、ロビンソン夫人との関係なくして、彼はエレーンを好きになっただろうか?作中ではエレーンの側にも「医学部の彼」(ホフマンとは対照的なルックスの金髪・高身長/友達によると「女たらし」)が用意されている。この映画は、脚本や画面、こうした設定一つ一つから、とても理詰めな感じを受ける。
ベンにストリップショーに連れて行かれたエレーンは「私が嫌いなんでしょ」と涙を流し、飛び出して行く。ベンが追いかけ謝ると「だって泣けちゃうわよ」というようなことを言う。夜の町角で、お坊ちゃんとお嬢ちゃんが本心をさらけ出し、打ち解けあう。ぴかぴかのアルファロメオの中で、ハンバーガーとポテトを頬張り、「若者同士」のざっくばらんな会話をする。
関係ないけど、いわゆる「男」は、こうした嫌がらせにストリップショー(の類のもの)を使えるけど、女にはそれに相当するものがないから、羨ましいなあと思った。嫌がらせしたいと思う時ってないけど、選択肢として。


ベンは、エレーンを愛するようになってからも、ロビンソン夫人との関係を後悔しない。エレーンにくどくど謝ったりしないし、自責の念にかられている様子もない。そういう態度…このことに対する態度に限らず、そうした「前向き」な態度が、世の中で彼を孤立させる。


ベンの喜劇的造形、ダスティン・ホフマンのはまりっぷりも見事。ホテルの部屋で「…やっぱり他のことをしませんか」のセリフには吹き出してしまった。それから腕組み(この仕草がリアル!)→初めてなんかじゃない!→暗転→プールでサングラスかけて寝転がる、の一連のシーンは笑いっぱなし。
暗闇の中で彼を待つロビンソン氏に驚く場面も秀逸。じつは私もこの時まで彼の存在を忘れており、自分も子どもだなあと実感した(笑)


性行為だけのデートに業を煮やしたベンが、ロビンソン夫人に「何かお喋りしよう」と言うシーンも印象的。頑なに会話を拒む彼女から、夫との馴れ初めを聞き出して面白がる様子はいかにも子どもっぽい。でも、「夫婦」「恋人」じゃない関係だからこそ、ベッドで屈託なく喋れるということもある。


同居人は、昔観た時から「この二人、これからどうするんだと思ってた」そう。ラストの神妙な顔がなくたって、状況を想像したら、そう考えるかも。私の場合はどういう物語でも、作中のカップルが別れる可能性はあると思ってる。別れるのが不幸ってわけじゃない。


「プールが出てくる映画」ということで、同時代の「泳ぐひと」なんかも観返したくなった。「卒業」以降の映画に出てくる場合は、オマージュも多いんだろうな。近年なら、スティーリー・ダンの「Do it again」が印象的な「しあわせの法則」など(ジャケがひどい)。