ずっとあなたを愛してる


フィリップ・クローデル脚本・監督作品。殺人犯として15年の刑期を終え、妹の家に身を寄せたジュリエット(クリスティン・スコット・トーマス)が「自分の居場所」を見つけるまでを描く。



「作家に殺人者の気持ちの何が分かるの!」
「小説を神聖化するのはやめて、陳腐な発想をうむだけよ」



中盤、文学科の教授である妹のレアが、学生相手に声を荒げる。
この映画には、淡々とした描写の中、悪目立ちすれすれなほど激情的な部分が幾つかあり、このシーンもその一つだ。実在する映画や本への言及は他にもあり(「エリック・ロメールを認めない奴は認めない」インテリオヤジの嫌さがリアル・笑)、それらは作品の「彩り」だけど、これはそうじゃない。小説家であるクローデルの手による映画にこうしたセリフが出てくるなんて、少し戸惑ったけど、観終わって、誠実さゆえにあふれ出てしまったものと受け止めた。


最後のセリフが作品のテーマをそのまま表しているように、物語は緻密ながらもストレートに、分かりやすく語られる。作中「起こること」自体は、幾多のドラマや映画で見慣れたものだ。でも脚本…加えて特に演技によって、こんなに観易く心温まる作品になるんだなあと思った。


舞台はフランス・ロレーヌ地方の小さな町、ナンシー。美しいプールや美術館、人の集うカフェや動物園、映画館の様子などがまずは見どころだ。
夫ともども大学教授であるレアの家もとても素敵。とりわけ本好きにはたまらないだろう。おじいちゃんがこもっている書斎、二階の廊下に長々と設えられた本棚、幾つもある出窓に立て掛けられた本。玄関ホールのシャンデリア、各々のベッドのサイドテーブルの照明。フリルのついたスカートを次々と披露する長女プチ・リスの部屋には、大きなドールハウス…「つぐない」に出てきたものの、ファストおもちゃ版とでもいうようなやつ。彼女の「人形のお墓」には笑った。
始めはクリスティンの心を表すように、町も家もどこかよそよそしく感じられたのが、次第に沁み入ってくる。


ジュリエットには、地元の警察を定期的に訪れる義務がある。初訪問のシーンで、担当官フィレ(フレデリック・ピエロ)の口元が執拗に映される。しばらく触れていなかった「男」…自分にとってある意味を持つもの…を久々に目の当たりにした感覚がストレートに伝わってくる。ただのおじさんなのに、ああ、私なら「一緒にお茶でも飲みませんか?」と言っちゃうかも、なんて思う。
次の訪問時には、コーヒーの支度をする彼の手がアップになる。ジュリエットは眺めながら髪をいじる。
陳腐な言い方だけど、自分の過去を知っている相手と居るのは楽だ。フィレは「刑務所では皆、テレビを観るもんだと思ってた」と口にする。まるで少年が「女の子は甘いものが好きだと思ってた」と言うように。その後ジュリエットは、気を遣って話す妹に対し「『向こう』なんて言わないで、私は『刑務所』にいたの!」と叫ぶ。
彼は「フォンテーヌ」(泉=湧き出す所/ジュリエットの苗字)の分からない、あるものに取り憑かれ、根を張り生き延びるジュリエットの身代わりのように、姿を消す。


登場時のジュリエットは、化粧もせず不格好な服を身に着け、職場と家庭を日々泳いでいる妹とは対照的なルックスだ。周囲に溶け込むうち、髪や肌を整え、社会にそぐう格好をするようになるが、私としては、生えたままの木のような最初の姿にも、なんともいえない良さを感じた。
また、彼女が社会に馴染んでくるに及び、群衆の中にまぎれるシーンが出てくるのも印象的。


フランス映画なんだから当たり前かもしれないけど、フランス語を耳で味わう心地良さもあった。プチ・リスにおやすみ前の本を読んでやるクリスティンの声(私もお願いしたい!)、電話の横でリスが本を音読するつぶやき声。エンドクレジットにかぶるシャンソン
フランス語といえば、分からず残念だったのが、ジュリエットとレアがピアノを弾くシーンで、声の出ないおじいちゃんの頭に貼りついてたメモ。何て書いてあったんだろう?