ニセ札


木村祐一監督作品。勧めてもらった真保裕一の「奪取」や、映画「ヒトラーの贋札」(感想)が面白かったので、贋札ものなら観たいなあと思っていた。



終戦から数年後、山あいの村。小学校教師のかげ子(倍賞美津子)は、教え子の大津(板倉俊之)からニセ札作りの話をもちかけられ、参加を決意する。他のメンバーは、地元の名士・戸浦(段田安則)や紙職人の橋本(村上淳)など。
先日明治村に行ったばかりということもあり、(時代は違うけど)テーマパークのようなセットや服装の小奇麗さに目が行った。


勝手に期待してたことだけど、折角エキスパート?が揃っているのに、仕事の細かい部分にほとんど触れられないのが残念。例えば戸浦の元部下である印刷の専門家(三浦誠己)が「紙をしめらせた状態で印刷したから、乾燥後に顔の大きさが縮んでしまった」と説明する場面で、なるほど〜でも「顔」の大きさだけが変わるってどういうこと?と思っていると、実物は見られず終わってしまう。彼がちょこちょこ何かを直す所も、画面中の皆はほ〜と感心してるけど、観てる私にはよく分らなかった。


ヒロインの倍賞美津子の白い襟元が印象的だ。冒頭、軍国主義の教科書を焼却する彼女はもんぺに着物姿だが、中に白襟のブラウスを着込んでいる。数年後にスーツの洋装になっても、常にその襟は真白に輝いている(ニセ札印刷に立ち合うときのみ、少し「ラフ」なストライプ柄になっている)。自宅ではスーツの上着を脱ぎ、ブラウスにもんぺという格好。
「山道を自転車で帰宅する彼女を、トラックに乗った教え子が呼び止める」シーンに、「まっとう」に生きていれば、表面的には、社会の中で守り守られて生きていくことができるということを思い、少し寂しくなった。
またこの場面には、ちょっとしたエロスを感じた。彼女が(血のつながりのない)息子とじゃれ合うシーンなどもしつこいくらい長く、辺鄙な土地で未亡人であっても、ああいう立場で「男」に囲まれていれば寂しくないなと思った。
終盤の長セリフには白けてしまったけど、「お金はどこかから湧いてくるものだと思っていました」という言葉に、私も短い教員生活において、そういうふうに感じてたことを思い出した。


それにしても次から次へと疑問の湧いてくる映画で、例えば、かげ子はなぜニセ札作りに参加すると決めたのか?メンバーは自分たちも投資したのか?戸浦の部下はなぜ薬莢すら拾わずにあの場を去ったのか?かげ子の息子は「お金と紙切れの区別がつかない」のに、なぜ最後にああいうこと(「お金」と「その偽物」をばらまくということ)をしたのか?公判までの1年間、身よりのないであろう彼はどこにいたのか?などなど…
正直、こんなにつまらない映画は久々だと思ったけど、観終わってから散々こういうことを話し合えたから、うちらにとっては、ある意味「いい映画」かも(笑)


かげ子と大津が仕事で落ち合うのが神社だったり、警察の捜査で「終わったらここに集合!」というのが、田舎らしくて可笑しかった。