デンデラ



姥捨山」の「ウラ」を描いた物語。「捨てられた老婆たちによる共同体『デンデラ』」を説明する前半と、動きののろい熊と戦う後半。なんだかふにゃっとした映画だった。


最初から最後まで、面白い話だと思う。まずは「新参者」のカユ(浅丘ルリ子)の側。村では「姥捨てで死ねば極楽に行ける」「捨てられたのに生き延びるのは恥」とされており、子どもの頃にそう刷り込まれたカユは自分を助けた相手に対し毒づく。しかし皆が食料を平等に分け合う様子(村でも食料が足りないはずはなく、「姥捨て」はたんなる制度なのだ)、体が悪くてものんびり暮らす親友の姿などを目の当たりにし、生きたいと思う気持ちを受け入れるようになる。一方デンデラの側は、「体が悪くなったら面倒をみるだけ」「意気地なしは『意気地なし』と呼ぶだけ」とトラブルもなく機能している。
なるほど〜と思わせられるけど、これらのことを丁寧に説明しすぎるがゆえに、共同体について色々疑問を抱いてしまうし、勢いに欠ける。ついでに、とくに冒頭部の新劇風味は何なんだと思う。


デンデラの創設者であるメイ(草笛光子)は村への復讐をもくろんでいるが、30年かけてようやく人手やら何やらが揃ったその時、熊に襲われる。やり過ごすと今度は雪崩に襲われる。この展開はいいなと思った。メイが何かというと杖で周りのものをぶっ叩くのは、たんに乱暴なんではない。世の全てが自分を邪魔するからだ。しかし「村」に居た時と違い、自分の意思でもって思う存分反抗できるとなれば、命がどうなろうと構わない。
しかし、キーとなる「熊」の描写があまりにお粗末なため、観ていてテンションが上がらない。熊に限らず、前半の鍛錬に始まり、熊、雪崩、全てのアクションシーンが死んでいる感じ。


新入りのカユは一番年下。100歳のメイに「おれが捨てられたとき、お前はまだ40の小娘だったなあ」などと言われる。年長者に囲まれていることもあり?次第に彼女が「小娘」に見えてくるから不思議だ。親友の死体から取った布を鉢巻にしたり、柱に片膝立てて座ったりする姿はほんとに少女のようだった。
雪山に足を取られ、会話においては「自分で考えろと言われても…」と嘆く。でも足手まといになりたくないと自力で歩き、「物事を勝手に決める男衆」もいないので、「正しいと思ったことをすればいい」との助言に従い意志を持ち貫くようになる。
予告編でかっこよかった、碧眼の賠償美津子が「穏健派」だったのは意外。中盤で見せる、宗教家のような怪しさが面白かった。