サタデーナイト・チャーチ


物語は主人公ユリシーズ(ルカ・カイン)の父親の死に始まる。母親と彼と弟、三人の家族は「おばあちゃんちに引っ越」さなくても済むよう、叔母に子どもの世話を頼んで新生活に乗り出す。母親が夜勤に出掛けるまであと20分の食卓での会話、叔母による兄だけへの手伝いの命令、栄養豊かな食事やあたたかい寝床が用意されていてもここにあるのはだた役割、機能としての人間だけで、見ていて息が詰まりそうになる。

見ながら「ハイスクール・ミュージカル」や「キャンプ・ロック」の類を思い出すほどおっとりしている…というか複雑さが無い作品だけども、本作の肝は違うところにある。年少者にとって一番辛いのは居場所が無いことであり、そういう子や若者に「誰かがいる」と訴えるのが目的なのである。この映画で一番リアルなのは自分を待つ家族のいるユリシーズが足元に札を投げられても体を売ろうとするあの瞬間で、母親が知ったら全てを投げ打って「助け」に飛んでくるだろう、そんな背景があっても辛い時には辛いのだという、その一点でスクリーンのこちら側の助けるべき誰かに寄り添っているのだ。

冒頭自身を否定されたユリシーズは部屋に逃げ込み閉じこもるが、思い立って以前広告を見かけた店へ出かける。買い物客の後を着いて川辺へ行き新たな世界を知る。いったん帰ろうとするが家に戻る地下鉄への階段を見て引き返す。終盤支援プログラム「サタデーナイト・チャーチ」のジョーン(ケイト・ボーンスタイン)が彼に「何があったか話して、そのために私がいる」と声を掛けるが、これがまさにこの映画の訴えたいこと。苦しかったら外においでと言っているのだ。