幸せの1ページ


物販コーナーに並んでいた原作本からして、少女が主人公のファミリー向け物語なんだろうけど、観た印象は「ジョディ・フォスターのスター映画」。撮影、さぞかし楽しかっただろうなあと思った。私も観ていて楽しかった。



南の孤島に暮らす11歳のニム(アビゲイル・ブレスリン)は、学者の父(ジェラルド・バトラー)がプランクトンの採集に出掛けたきり戻らないことから、大好きな冒険小説「アレックス・ローバー」の主人公にEメールで助けを求める。しかし実際の著者アレクサンドラ(ジョディ・フォスター)は極度の潔癖症で、家から出たこともなかった。


ジョディ演じる主人公は「ひきこもりの冒険小説家」とされているけど、ああいうのってどうなんだろう、と考えたらきりがない。「誰にも会わないのに身だしなみを整えるものだろうか、いやそういうこともありえるのかな」「しばらく誰とも顔を合わせてないのに、タクシーの運転手とは普通に喋ってるな」などなど。
でもそういうの、ジョディのおかげで気にならない。ポスターでは余裕の笑顔でリゾートめいた格好をしてるけど、作中では体をぶつけたり転んだり、全身多忙な演技。靴を脱ぎ捨て、船を奪って嵐の海に飛び込むあたりから本当に魅せられる(関係ないけど「熟女とボート」つながりで、メリル・ストリープの「激流」って最近地上波で放映しなくなったな。結構好きだった)。
映画は彼女の活躍シーンの他にも見どころがいっぱいだ。海や動物、アビゲイルがパパと暮らす島のおうち。彼女のプチ「ホーム・アローン」体験(でぶの男の子の素朴さが好感度大)。いっぽうサンフランシスコのジョディの一軒家は、船室風の窓の外に雨が見えるのがすてきで、あんなところならしばらく閉じこもってみたいと思わせる。


ジェラルド・バトラーアビゲイルの父親の他、インディ・ジョーンズ風の扮装で冒険家「アレックス・ローバー」も演じる。作者のジョディにはその姿が見えており、唯一の会話を交わす相手だ。「女性作家が、自分が作り出したキャラクターと同棲している」というのはなんとなく見慣れた光景であり(ちょっと違うけど、大島弓子のサバシリーズを思い浮かべた)、エロティックな感じを受ける。
私がこの映画で一番面白かったのは、ジョディがアビゲイル親子の役に全くもって立っていないところ。それなのにラスト、自らの作りだしたキャラクターが去った後、(おそらく理想を具現化した)同じルックスの王子様が現れるんだから、幸せとしか言いようがない。


ちなみに同行者はアビゲイル・ブレスリンが走ったり跳んだりする姿に「あんな暮らしをしてるように見えない、とろすぎる」と文句をつけていた(「リトル・ミス・サンシャイン」ではそれがよかったんだけど・笑)


ところで終盤のジョディを見て思ったんだけど、先日「この自由な世界で」の感想にも書こうとして忘れてたんだけど、最近「ブラのストラップを見せてもいい」世の中になったことが嬉しい。もちろん見苦しい重ね方は自他ともにいやだけど、体型によってはストラップレスは不便だから。