いま、ここにある風景



「タンカーを見るとつながりが分かる、
 あの中のどれかに積まれてきたオイルを、ぼくは自分の車に給油している」



「産業の発展によって変化した風景」を撮り続ける写真家、エドワード・バーティンスキーが、「世界の『工場』」中国を訪れてその姿をカメラで捉えたドキュメンタリー。
冒頭、「自然から生まれた人間にとって、自然破壊は自己破壊に等しい」という彼の「哲学」が語られる。唐突なかんじを受けるが、この映画は、彼が記録した風景を通して、そうした考えに至った理由を伝えるものだ。


私は写真のことは分からないけど、彼の作品やこの映画の映像は、(見せ方含めて)極めてオーソドックスなスタイルのものだ。しかしともかく、大きいもの、何かの多くの集合、を見るシンプルな面白さが味わえる。


現場の写真や映像だけでなく、映画は「仕事をする彼の姿」も追う。光の具合を気にしたり、撮り直しをしたりする姿が何度か挿入される。ポスターに使われている写真(右画像)を、「人が集まってるかんじを…」と言いながら撮るシーンもある。ポラロイド写真をその場で見てはしゃぐ現地の人々の姿も映る。こうして「写真家」の仕事ぶりを伝えることに、どういう意図があるんだろう?と考えた。
彼の写真展の様子も映るけど、例えば新聞に掲載される投書が、結局それを書く「類の」人の目にしか留まらないように、ああした展覧会も同じなのではないかという気持ちに襲われる。彼は「自分の仕事が政治的なものになればいい」と言う。


見終わって話した第一の感想は、日本は小さい、ということ。同行者いわく、領主の土地も小さいから一揆などが可能で、為政者もある程度は民衆を尊重せざるを得なかったんだろうなあと。当たり前だけど、国の大きさや資源などの特性によって、その性格は決まってくるんだなあと思った。
ちなみに上海の写真は、いま私が暮らしている新宿(の東側)のようだと思った。昔ながらの住宅街の奥に高層ビルが見える。でもカメラが引くと、規模がぜんぜん違うことが分かる!あんなに巨大な都市だなんて、日頃のニュースからは知らなかった。