スター・ウォーズ 最後のジェダイ



面白かった。シリーズの中でも今年の映画の中でも最高の部類の傑作だと思った。


(以下「ネタバレ」しています)


ヨーダいわく「まだ地平線を見ているのか、求めるものはお前の近くにある」。だからこの映画の宇宙は広く見えない。伝説が何だ、手を伸ばせばそこにあるぞと。ポー(オスカー・アイザック)は「あの提督?」の元でいつものように「問題」を起こし、ローズ(ケリー・マリー・トラン)は「あのフィン?」と共に飛び出し、遠くから光を見ていた者にその火花は生きているのだと伝える。


スノークアンディ・サーキス)の周りを固める赤い衛兵達が私には異様に映った。ストーム・トルーパーを見慣れた今でも、顔(に象徴されるもの)が全く見えないのはやはり変だと思う。だからフィン(ジョン・ボイエガ)とファズマ(グェンドリン・クリスティー)の、「システムのバグ(昔は顔を覆っていたのに今じゃ出している奴)」と「メッキ頭(ずっと自分を覆っている奴)」の一騎討ちに痺れ、ラストの出撃の場面で反乱軍のメンバーの顔が順に映るのに泣けた。


この映画は、フィンとファズマのこの一騎打ちのような素晴らしいシーン(最後に晒された瞳が、自分が信じてきたものを尚も口にする)を軽々しい感じで撮ってしまう。随所に見られるこの態度が、評価が大きく分かれているらしい理由の一つかなと考えた。私は悪くないと思う。加えてこの映画のいびつに見える部分はおよそ、前作「フォースの覚醒」から話を繋げようとしたために起きた歪みに思われた。「ridiculous」と言われるカイロ・レン(アダム・ドライバー)のマスクすら要らなかったんじゃないか。


スノークがレイ(デイジー・リドリー)とレンに向かって「お前達の考えなどお見通し」と言った傍から殺されるのは、(「考え、読めてないじゃん!」という)「突っ込みどころ」ではない。読めずして言っているんだから。悪い奴はいつだって「お前はこうなんだ」と言うことでもって支配しようと、分断しようとする。これはそれを疑え、立ち向かえ、という話なんだから。


ぽい捨てされるのに始まり真っ二つの姿を晒して終わる(それこそ「伝説の」)ライトセーバーが、作中最初に抜かれるのはレイの手によって。一見若者のさわやかな訓練風景ながら、崖の下から煽ったその姿にかっこよさと同時に不穏なものを感じていたら、彼女が切り落とした岩が島の住人である「ケアテイカー」の命を脅かす。例によって軽く流されるこんなシーンもまた、私には重いものに思われた。世話する種というのが居るんだ、と驚いていたから、ヨーダが火を放ち、ルークの体が失せ、世話の必要が無くなりほっとした。よその文化に口出しするなと言われそうだけど。


「悪い奴もいい奴も武器商人から武器を買って戦争をする、だから自由に生きる」。あの理屈はエピソード9でも取り扱われるだろうか?是非続けてほしい。