天然コケッコー


(はじめに…私はくらもちふさこの単行本、デビュー作から全部持ってるファンです)


くらもちふさこの漫画に出てくる男の子というのは…「くらもちふさこの漫画に出てくる男の子」と言っただけで、わかる人にはわかる、わかる女のコにはわかる、独特な生き物だ。その魅力には抗えない。
天然コケッコー」はそーゆー話じゃないとはいえ、私にとっては、大沢くんが「くらもち漫画の男の子」であることが最重要なので、映画は原作と別物とはいえ、まずはその点が気になった。でもってその点は、やっぱりダメだった。当たり前だ、映画は少女漫画とは違う。
少女漫画は少女の心が捉えた世界。この映画は、少女の内部から見たものじゃなかった。大沢くんもお父ちゃんも、そよちゃんの内から離れたところに地に足つけて、それぞれ生きていた。



とはいえ、忠実すぎるほど原作を丁寧にまとめたのは伝わってきたし、ちょこちょこ入るオリジナルのシーンも面白かった。帰宅したそよちゃんが、駅伝中継を観てる浩太郎と「チャンネル替えん?」「ほかはゴルフと競馬」という会話を交わすシーンなど、山下敦弘が自分のやり方で、少女漫画への愛を優しく表現してくれたような感じを受けた。
(もっと率直に言うならば、趣味の合わない恋人が、○○ちゃんこーゆーの好きかなと思って…と可愛くなくはない雑貨を買ってきてくれたときのような気分になった。それに対し、神楽の夜にそよちゃんがこぼす涙には、譲れない男のこだわりを感じた)
ただ、ラストに使用されたあの回。原作だと、そよちゃんの指がつーっと行って、行って、最後に映る大沢くんの姿に最高にドキドキさせられるんだけど、その登場シーン、どうするんだろう?と思っていたら、単純に、ちょこっとずつ映り込んでくるというもので、じゃあどうすればいいのか私には分からないけど、残念だった。
ついでに、驚くほど原作に忠実なのに、あの「ボタン」のシーンでは、なぜ二人を並んで座らせたのか、疑問に思った*1
どうせ原作と映画とは違うんだし、何もかも、もっと山下監督流にしてくれたら面白かったのに〜と思わなくもなかったけど、それは贅沢というものかな。


原作付映画を観て、イメージと違う〜とケチをつけるのも、馬鹿馬鹿しいけど楽しみのうちか…(笑)
伊吹ちゃんは「にぶきちゃん」に見えなかったし*2、あっちゃんは、神楽の夜に座ってる後姿の骨張り様に、こんな体型じゃない〜とガッカリしたし、何より肝心のそよちゃんが、海へ行った帰りにいきなり髪ほどいてるのにびっくりした(笑・原作では温泉から出たあとでさえ、おさげなのに)。目の下のクマも気になった。なかなか顔を見せない、後姿でのシゲちゃんの登場シーンにはじらされた〜。
松田先生や田浦のじっちゃんについては、逆に、あそこまで似せる必要あるのか?と思っちゃった(笑)キャラクターを活かす余裕がないので、顔だけでもそっくりにしておこうという読者へのサービス精神か。
一番しっくりきてたのはかっちゃんで、表情といい着せられてる服といい、いかにもだった。


一つ自慢をすると!修学旅行の際、そよちゃんの足元が映る最初のシーンを見ただけで、タイルの模様から「新宿西口だ〜」と分かった。
私は田舎の出身で(ああいう絵になる田舎じゃなく単なる田舎)、中学校の修学旅行の行き先はやっぱり東京だった。でも上京して15年経った今、修学旅行で東京をめぐるシーンを見て、果たして面白いのかな?なんて思ってしまった。
私にとって田舎はとにかく恐いところで、たとえばこの映画なら、きれいな風景だな〜と思いつつ、冬場に茶の間でおばあちゃんが手仕事してるシーンを見ただけで、逃げ出したくなる。車で送ってもらおうと思ってたのに〜と、不在の父親を無邪気になじるそよちゃんが羨ましい。
自分の根っこから逃げること、それが私の人生のテーマだと、色んな映画を観るにつけ思い知らされる。


伊吹ちゃんが自分ちの店であっちゃんと飲む、フォションの紙パック紅茶。なぜフォション?ピンとこない。
(でもあのパッケージ見ると、私の場合、大江戸線を思い出してしまう。ホームで売ってるの。大江戸線って、セブンティーンアイスとか、そういう自販機があるのが謎)


最後に、あの「学校」のリアルさには感動した。職員室にちゃんと耐火金庫(要録が入ってる)がある!


もうひとつ最後に…新宿武蔵野館で観たんだけど、歩くのもやっと、というような老齢の男性が一人で来ていた。彼の生まれた村なんだろうか?映画、楽しんだだろうか?

*1:原作では向かい合っており、だからこそ「ボタン」が活きてくる

*2:大沢くんとそよちゃんの関係が皆に知れた神楽の夜。トラックの荷台で「三角関係じゃね」とシゲちゃんに言ってのけた彼女に対し、そよちゃんが抱く感想が「伊吹ちゃんは"にぶきちゃん"じゃった」。