フリーダム・ライターズ


一緒に観た「先生」の、明かりが点いた際の一言は、先生ってすごい仕事だねえ、というものだった。たしかにそうで、だから私はやめてしまった。インプットとアウトプットの場所を分けないと息ができない自分、寂しがりやの自分にはムリだ。でも、色んな人間で構成される「学校」には、今でも愛着がある。



90年代半ばのロサンゼルス。多くの人種が集う「底辺高校」に、新任国語教師のエリン(ヒラリー・スワンク)が赴任してきた。銃撃戦が日常の生徒達にとって、学校は時間をやり過ごすだけの場所。しかし彼女は自腹を切って本を配り、日記を書かせ、彼等にアプローチし続ける。


生徒たちが、なんだかんだ言いつつヒラリーに反応する前半部分は、ありえないだろ…と思ってしまったけれど(でも、マズイ落書きが回覧されてるのを見つけて授業内容を変更し話をする場面や、「ラインゲーム」をやる場面などは、来た来た〜ってカンジ・笑)、後半は面白かった。映画としての面白さを感じたというより、何かこう、シンプルな事実が伝わってきた。


何よりもヒラリー・スワンクの野暮ったさ、子どもっぽさが、役柄にはまっており良かった。足を均等に開いた立ち姿、一方的な夫への態度。自分が忙しくなると「あなたはテニスでもしてて」などとにこやかに言い放つ。鈍くて強いオトナだ。
生徒の日記を初めて読むときの、猫背になってそわそわし、耳に髪をかける仕草など、いかにもで印象的だった。


頑固な保守派教員、イメルダ・スタウントンの気持ちもよく分かる。こういう先生がいてもいいと思う。
ヒラリーの父親は、皆と別れなければならないと嘆く彼女に対し「でも彼等は新しい先生に出会えるじゃないか」と言う。それはスタウントンのような先生を指してはいないんだろうけど、色んな人がいてこその学校、社会だ。
(ちなみに、生徒達が卒業するまで授業を担当したいというヒラリーの態度は、私には共感できなかった)


生徒の一人いわく「先生は、したいと思ったことは何でもする」。
ヒラリーが生徒に本を書かせるため、企業にかけあって「パソコンを35台」入手してしまうあたり、アメリカらしいな〜と思った。