時をかける少女


一月ほど前に大林宣彦版を観返したこともあり、レンタル新作で並んでたアニメ版を借りてきました。



まずは大林宣彦版の話。80年代の邦画などを観てまず思うのは、昔の男の子は無愛想だということだ。今の私の感覚からすると、皆冷淡なので驚かされる。しかしそれが却ってロマンチックでもあって、今みたいに、男女がむやみに理解あるフリして擦り寄ってない、その距離感にドキドキさせられる。
「わからないわ…この気持ちは何?これが愛なの?」(最後に原田知世が口にするセリフ)
夜は毎日ウチに帰ってゴハン食べてた頃の、恋。ほんとの恋っていうのは、そういうもんだと思う。今の私にあるのは、様々な「人間関係」だ。どっちがいいとかじゃなく、今はもう、そうしかならない。


理科室の原田知世が起き上がって歌い始めるエンディングに触れると、例えば80年代の音楽、ひいては文化に自分が安らぎを覚えるのは、それ自体が持つ何かによるものなのか、色々なものに守られて安らいでた当時の記憶によるものなのか、たぶんどちらの要素もあるんだろうけど、そういうことを考えてしまい、結局甘い気持ちにさせられる。


アニメ版については、劇場公開時、テアトル新宿の前を通るたびにポスター目にして、何で空飛んでるんだろう?と思ってたものだけど、初めて意味が分かった。ほんとに駆けてるんだ。
私はアニメ独特の躍動感が苦手なこともあり、主人公が駆けながらやたら人にぶつかるのが気になってしょうがなかった。だって迷惑じゃん…?自転車で坂を下ってくシーンも、実写よりなぜか不穏な感じを受ける。
でも色使いなどキレイで、理科室のシーンでは、室内の、陽が当たってるとこと当たってないとことの温度差が伝わってくるようだった。


ある日どこかで」において、クリストファー・リーブは「時をかける」ため、ひたすら「頑張る」。初めて観た時、このシーンに凄く違和感を感じたものだけど、今では、そういうものなのかもしれないと思う。
逆にがんばりようもないのは「恋はデジャ・ヴ」のビル・マーレイで、かけてしまうのを食い止めるのは難しいものだ。