多田かおるの漫画に思う


先日漫画文庫の項で、文庫化の際は差別用語などが改訂される、ということを書いたけど、私がとくに思いをはせるのは、(おもに男性の)同性愛者の扱われ方である。今の若い人にはピンと来ないかもしれないけど、エイズという病気が知られ始めたころは、漫画の中じゃ、ゲイの男性を「エイズ野郎」と呼ぶなんてギャグが無邪気にまかり通っていた(勿論、90年代に入って文庫化される場合は変更されている)。
漫画に限らず、物語に接する際には、「そういう言動をする人物・状況」であると受け止めるべきか、そうはいっても作者の倫理観なり何なりが投影されていると受け止めるべきか、考えてしまうところだけど…


少女漫画における男性の同性愛の描写については語りつくされてる感があるけど、「おかま」さんキャラに関する話はあまり聞かない。
いまや「おかま」なんて死語に近いけど、70年代から活躍している漫画家(大和和紀青池保子など)はそういうキャラクターをよく描いていた。たいていは脇役で、頼りになる親友、あるいはイロモノ扱いだったり。いずれにせよステレオタイプな、しかし昔からの少女漫画読みには愛すべき描かれ方である。こういうの、どうなんだろうねえ、男性にしてみたら…


「おかま」が主役級で出てくる作品のひとつに、多田かおるの「デボラ」シリーズがあります。私はコレ、大好きだけど、考えてみればおかしな話である。
主人公の朝代は隣の部屋に住むデボラさん(ものすごい美形で、オネエ言葉を使う)と仲良くなる。デボラさんはフレディ・マーキュリー陣内孝則に熱をあげる「おかま」だが、二人は惹かれあい、つきあうようになる。やがてデボラさんは彼女を「押し倒したい」と感じるまでになる。
私は男性ではないので、実際に起こりえるか、ちょっと想像できないんだけど、コレは女性にとって、かなり都合のいい話だ。彼が自分に欲情するのは「女だから」ではなく「自分のことが好きだから」。よって他の女性に目移りすることもない。男から女として見られたくないけど、男が好き、男とセックスしたい、という女性(が、もしいたならば。少なくとも私にはそういう気持ちが多少ある。でも必ずしも「自分のことを好き」な相手とセックスしたいわけではない)にとって、これ以上気楽な世界ってない。「いつまでもキレイでいて」なんて一方的に言われることもない。デボラさんは自分こそ美しくあるために努力してるんだから。
女性にとっての「おかま」をこういうふうに描いた漫画って、他になんかあったかなあ?この作品が描かれたのは87年〜、少女漫画において、「おかま」さんが愛すべきイロモノだった時代と、ゲイの男性がそれなりにリアルに描かれるようになった時代の、狭間にあるという気がします。
(付け加えておくと、何をどう言おうと、多田かおるは素晴らしい漫画家です。くらもちふさこも「自分の理想ばかり描いてるのに全然憎めない、すごい才能」と言っている)