なにもかも忘れて、君の胸に抱かれたい


id:maki-ryuさんの9/13の日記の、「どんな映画も映画として鑑賞できたらいいのに!」というの、とてもよくわかる。
殺人の追憶」は私にとって今年の劇場観賞作中ベストワン候補なのですが、アタマでは映画とわかっていながら、どうしても受け入れられないっての、やっぱりあるから…
自分の場合、比較的最近観た中では「ばかのハコ船」かな?はてな以前の日記に書いたけど、主人公の男が恋人に向かって「ば〜か」って言うのがダメで。男→女だからってんじゃなくて、だって私はそんなこと、言ったことも言われたこともないし、もし言われたら、別れちゃうと思う。
正直に告白すると、「あの頃ペニー・レインと」もキツイ。理由は、これも以前陳子さんとこで書いたんだけど、結局女にとってセックスとは精神的なものなんだ、という幻想が見え隠れしてるように感じてしまうから。


若いころって、「エロ文化に理解のある(?)自分が好き」みたいな傾向がある…という言い方は好かないな、「私には」ありました。
上京したころは早稲田のACTミニシアターの近所に住んでたのですが(今もやってるのかな?)、男の人とたまにロマンポルノとか、観に行ったり、あと、いそのえいたろうとか、集めたりして。実生活でも、いろんな種類の人とセックスしなきゃいけない、時間が勿体ない、と思ってた。いかにも「地方から出てきた頭でっかちの女子大生」ってカンジ。
でもハタチこえてしばらくしたら、ふと我にかえって、呪縛がとけた。上記のものがくだらないというわけではなくて、自分にとって、素直に面白いと思えるものが大事なんだって。
(大体、映画に関していえば、私が映画好きになったキッカケって、「ポリス・アカデミー」と「ダーティ・ダンシング」(のパトリック・スウェイジ)だし。そんなシャレ者?ぶってもしょうがない)
でもって、その「エロ」ってのは、「これがエロいんですよ」と刷り込まれたものを参照して「エロ」と判断してるにすぎないんだよね。それを言ったら、すべてのエロは学習の結果だけど、そのへんの境界については、ひとまず置いといて…(いや、ものの区別って、必ずしも厳然と、ハッキリしてなきゃいけないわけじゃなくて、グラデーションみたいな場合ってあるよね)
それを楽しめる人もいるんだろうけど(それが「映画を映画として楽しむ」ってことなんだろうけど)、場合によっては、やっぱりムリだったりする。
私が男の人を見たとき、触れたとき、どんなかんじがして、どんなふうに嬉しいか、ストレートの男性には、正確に言うなら、他人には、たぶん想像もつかないだろう。それと同じように、結局、女がエロの客体となってるものは、私には想像の域を出ない。むしろ不愉快な場合もある(端的に言うと、レイプ描写とか)。そういう文化をムリして受け入れる必要って、べつにないよなあと。
(あるモノによって、メリットを享受する者と、デメリットを受ける者がいる場合、デメリットを受ける側に配慮すべきだと私は考えます。世の中からなくせというわけではなくて「配慮」。性的なことに限らず、たとえば喫煙問題などの場合も同じく)


ここで「なぜ(性的対象が)男でないといけないのか」という私の人生最大の疑問(笑)がまた噴出してくるわけだけど…どうしても、男でないとダメなんだよね、残念なことに…(笑)私の苦悩も快楽も、そのためにある。
セックスについて自ら考えたこともない、「女を抱く」という意識の男、そういう人とのふれあいが、イヤではない、むしろよかったりするから、困ったものだ。


…時間なくなったので、つづきは後日。