クイーンズ・オブ・フィールド


「野球少女」(2019年韓国)もそうだったように、描かれるのはスポーツの勝ち負けではなく、女の選手は存在してもよいのかと考えてしまう男性側の問題である。不思議な設問だが、本作でカトリーヌ(ロール・カラミー)の夫が「なぜだか分からないが女のチームと聞いてかっとなってしまった」と最後に告白するように、そんなことを問う根拠など実は無いと気付く者は少ない。映画の結末はこの問題がまだまだ中途にあるということを表しているのだろうか。

名門サッカーチームで女がプレイすると聞いた男達は「妻が他の男ともつれ合うなんて」「レズビアンになったら困る」と私の思い付きもしない文句や心配を口にするが、それに対してコーチのマルコ(カド・メラッド)が茶化したようなことを返すのが、差別の上塗りではなくお前は馬鹿か、というニュアンスを醸し出しているのがうまい。試合の後で彼が皆におごるよと申し出ると「18時までに帰らなきゃ、旦那に言われてるから」と一人が返す、他のメンバーも夫に言われていようといまいと!「遠慮」があって心がせいているのだろう、解散することになる。その後にマルコが一人でバーに行くと男達が集まって飲んでいるという場面もうまかった。呑気なようでちょっとした描写が効いていた。

面白いのはミミル(アルバン・イヴァノフ)の存在。時折映画にはこのような「共同体から外れている男」が出てくるもので、私はいつも映画「レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリカ」でカリ・ヴァーナネンが演じた「村の馬鹿」を思い出すんだけども、ミミルの場合はサッカー好きだが男の集団に入れないのを別段入りたいとも思っていない様子なのが今ふうである。セックスにつき、おれはセックスしたいけど、と申し出て相手が承諾すればするし断られればしない、これがセックスしたい人のまともなあり方というものだろう(現実には承諾する相手がおらず憎しみを生み出してしまう人が多いわけだけども)。

アンドレ・ウィルムが出ているとは知らなかった、嬉しい驚きだった。彼演じるパピーの病気で嫌な奴らが改心するとは安易だな、でも映画における病気とは比喩だからな、などと見ていたら全然比喩でも何でもないのが面白かった。

平日の記録


花見休暇。練馬駅から千川通りを歩いて、中野通りで曲がって哲学堂に寄って帰る。天気は快晴、かなり咲いているものからこれから咲くものまで色んな段階の桜を見られた。


同居人が作ってくれたカゴ入りの花見弁当(手前のは私の取り皿)を広い歩道の縁で食べた。お稲荷さんに海老フライ、卵焼きに煮物にしめ鯖、どれも美味。私が混ぜてきたフルーチェは公園のベンチで食べた。大好きなパティスリープラネッツの江古田店でシュークリームも買った。


苺もの。
ジェラートピケカフェのストロベリーパフェクレープは、ピンクの生地が可愛いなと珍しく15分並んでまで食べた。中身もあまおうのジェラートなど新鮮で美味。
ディーンアンドデルーカのマリトッツォ ストロベリーは苺を歯に見立てたら妖怪みたい。かなりのでかさだったけど、フロマージュブランのクリームも美味しく食べ切った。

巡礼の約束/ラモとガベ


岩波ホールで開催中の「映画で見る現代チベット」にて観賞。公式サイトに「チベットの女性が見えてくる」とあった二作を続けて見てみたところ、どちらも男の映画だった。「女性問題」とは男の問題なのだと実感できた。

▼「巡礼の約束」(2018年/ソンタルジャ監督)は五体投地でのラサ巡礼に出た妻ウォマを追う夫ロルジェと前夫の息子ノルウの旅の物語。

冒頭、ウォマが周囲の皆を愛しているのが伝わってくるもののどこか地に足がついていないような奇妙な感じを受け不思議に思っていたら、次第に理由が分かってくる。これは彼女が誰かに向ける思いや誰かとの関係の話ではなく、彼女をめぐる男達の交流や関係の話だからである。愛する人々(見る限り周囲にいるのは家族だけである)の気持ちに沿って自分を形作って生きてきたウォマが死を目前にして「約束」を実行したことにより、押し込められていた問題が噴出するのである。

病院からの帰り、バイクの後部座席で夫の背に頬を寄せるウォマの愛に溢れた表情が印象的である。およそロルジェは前に、ウォマは後ろに居ることが多く、テントの中での「ここに座って」にも夫は背を向けて座り、妻は腕を伸ばす(ここからの二人の動きとカメラは実に流麗)。終盤のロルジェのノルウへの「男は人の後ろを歩くもんじゃない」には、またそんな男を作るつもりなのかと思ったものだけど、彼が人を育てる段階に入ったことが確かに強く表れていた。

▼「ラモとガベ」(2019年/ソンタルジャ監督)はラモとガベの若い二人に英雄叙事詩「ケサル王物語」を重ねて描いたという一作。


「女という弱い存在である私は悪行を働いたことはありません。
 しかし何の因果か苦難ばかりの道のり。
   (略)
 私の名前はラモと申します。」
   (この映画のラモの口から最後に流れ出る文)

「こんな簡単なことがなぜ出来ないんだ」とはあちこち駆けずり回るはめになるガベの序盤のセリフだが、これを聞いた時には私も確かにそう思った。そもそも何の話だか掴めなかった。しかし終盤、これはまさに「そういう話」なのだと分かった。始めは何が何だか分からない彼が、自分の生きる世界の根にあるものに気付く話なのだと。

ガベの関わる女二人、元妻のツォヤクと恋人のラモは周囲の抑圧を受け入れ心を殺して生きていたが、ツォヤクは親戚が結婚届を出した後、ラモは物語が進む中で、自らの心のままに行動することにする。前作「巡礼の約束」同様、女が心を解放したことにより男には「やらねばならないこと」が生まれる。ガベは自らに滑稽な英雄の髭を描き、気付かぬうちに負わせた怪我の治っていなかった馬をそれこそ力任せに逃がそうとするのだった。


映画の前に、曙橋のチベット料理店タシデレにてランチ。豚肉とじゃがいもと春雨のスープ(ピンシャ)に蒸しパン(ティンモ)とモモ、ご飯のセット。全部美味しくて体が熱くなった。最初に出てきたほうれん草のスープ、食後のチャイもよかった。

週末の記録


卒業式を終えた雨の休日、モノレールに乗って羽田空港へ。
作ってもらってばかりなのでたまにはと私が何とか整えたサンドイッチを、飛行機を見ながら食べた。おかずのはオイルサバディン(鯖の燻製のオイル漬け)とわさび菜とトマト。甘いのはバナナとクリームチーズと削ったチョコレートとくるみ。


羽田空港ブルーシールアイスクリームではミニサイズを一つおまけ中とのことで、普通サイズの沖縄田芋チーズケーキと紅イモ+バニラのソフトクリームを合わせたブルーシールサンデーにシークヮーサーシャーベットを付けてもらった。なかなかの組み合わせ。
バスキンロビンスのハッピーバターアーモンドは韓国の定番土産をイメージしているとのことで発売早々に食べてみたものだけど、予想よりもはるかに韓国じゃなくバスキンロビンス寄りの味だった。


やはり羽田空港にて、同居人の好きな八丈フルーツレモンを使用したという焼マシュマロ・タルト スモアを見つけて購入。少し温めたら、レモンマシュマロが柔らかくなり美味しかった。
西武池袋本店に出店していたモロゾフの生ブッセ専門店MOONのブッセ各種もちょうどいい味。モンブランが美味だった。

ミナリ


「家」を目指す2台の車。引っ越し会社のトラックで先達している父親「ジェイコブ」(スティーヴン・ユァン)の姿は現地まで明らかにならない。降り立った彼と母親「モニカ」(ハン・イェリ)の夫婦間では韓国語、韓国へ行ったことのないアンとデヴィッドの姉弟間では英語で会話がなされているのが、父親の「お前達にいいものを見せてやる」への「ne~(私には「de~」に聞こえるんだけど、いつも)」からしばらく、子の間でも韓国語が交わされる。そのうちそれらは入り混じる。

「あそこにミナリ(セリ)を植えたら育ちそうだ」「考えとく」「何を考える?私が植えれば済む話じゃないか」。これがジェイコブにとって義理の母であるスンジャ(ユン・ヨジョン)と彼の作中唯一の会話というのが忘れ難く、私にはこれはまず、家長は采配を振ろうとするな、全てを背負おうとするな、皆で分かち合え、それが家族のためなんだという話に思われた。家の中よりも農場に水を回し、大きな段ボールを抱えて診察室に出向き、ビッグなガーデンに心血注ぐ父親は体を痛めてしまう。息子が重い引き出しを持ち切れず足の上に落としてしまうように。

それにしても、「幸せな時が一番可愛い」だなんて私はそんなことを言う人とはやっていけないなと思っていたら、顔に出さずともモニカもずっとその問題を考えていたのであった。「ダメなら君は出て行っても構わない」って、なぜ一緒にいることよりも仕事が優先されるのか、そういうものじゃないだろうと。序盤、「おばあちゃんが来たらパパとママは絶対喧嘩しない」と子に誓う彼女の顔がアップになるのになぜここでと思ったものだけど、振り返ると意味を付与することができる。彼女は母親の「役に立たなさ」を予感しており、家の中にそれがある状態を求めていたのだと。

ひよこ工場で「廃棄」の意味を尋ねて「おれたちは役に立たなきゃならない」と父親に諭されたデヴィッドは、家でテレビを見るばかりの祖母の姿に戸惑う。クッキーを焼かず悪口を言い男物のパンツを履くおばあちゃんは「らしくない」、役割を果たしていない、と混乱した末にあんな悪戯をしてみれば、そのことにより、役割を大切にしている当の父親に「外から(自分を叩くための)棒を取ってこい」と叱られる。その矛盾に対抗するために枯草を持って行くという、まあ一種のユーモアを使うくだりが面白かった。この映画は幼い彼を混乱させた祖母がいわばその役に立たなさを爆発させた後に、孫二人がそういう家こそ私達の家なのだと認めるのに終わる。

印象的なのが「父親の椅子」。冒頭、次の家長であるデヴィッド(やがて彼がこの物語の主役なのだと分かってくる)がそこに座って穴の空いた自分の心臓の音を聞く。終盤、父親は「初めての客」としてポール(ウィル・パットン)を迎えた一家が自分の意に沿わない、制御下にないことをしている時、どうしていいか分からず「父親」であることに頼ってただ椅子に座っている。それが火事の翌朝には椅子には誰もおらず、引っ越しの晩だなんて理由がなくとも皆で「楽しい」雑魚寝をしている。彼らは真に再出発を果たしたのである。

最近見た韓国映画


▼夏時間

私にはあまりに何もなさすぎた。何も起こらないという意味じゃなく、例えば主人公オクジュがお金を欲しく思う気持ちや兄と妹の間の金銭的なわだかまりなどの色々がその場面以前以降にも存在しているように感じ取れず、全てがその場限りに思われた。

子どもである弟が「一人じゃつまらない」とはっきり口にするけれど、家族全員がそう(姉は一人でいるかと思えば家族のアルバムを見ている)。でも前述のように全てがその場限りなもんだから、彼らが一緒がいいと思うのは面倒を避けてるからじゃないのかと考えてしまった。さすれば私が唯一面白いと思った要素は顔の見えない母親で、どうやら彼女が「出て行った」ふうだから、彼女だけは面倒に向き合ったために一緒に暮らせなかったのかなと考えた。あの食事シーンはよかった。

字幕に頼れば私でもかなり韓国語が聞き取れた。数日前にTwitterのTLに回ってきた「TOEICの世界にありがちなこと」じゃないけれど、文法の本に出てくるような、家族間でよく交わされる類の文が多かったから。そういう映画だと言える。振り返ると家族以外の人間、例えば彼氏や業者と喋っている場面はとても少なく、妙にどきどきさせられる。そこも面白かった。



▼野球少女

「梨泰院クラス」の、という謳い文句に引っ張られたわけじゃないけれど、韓国ドラマを見てきてよかったと思った。先には韓国の映画とドラマの間に分断を感じていたけれど、ドラマも見るようになると、やっぱり繋がっていると思う。この映画にはこれまでになくその融合を(勝手に)感じた。

それにしても皆遅い、遅すぎるよ!「野球部にいるだけで辛」かったのに。いじめられてきたのに。今頃!と思ってしまった。この映画は女性差別の数々を物語に「うまく散りばめている」わけじゃない、女がゆく道を描けばそこに差別が現れたんだと感じ取れる。「中学の時より速くなったんだって?」「130キロなんだって?」(男にそんなこと言うか?)。あの「部室」からの、合宿に参加できない理由。「可愛いな」。等々。

韓国の映画やドラマで汁物のない食卓というのは珍しい。母親が家計も家事も一手に担っているんだから尤もな描写である。演じるヨム・ヘランは自分はお金を払う側、取られるばかりの側だと思い込んでいたものだけど、後日見た「ステージ・マザー」(2020年カナダ)ではジャッキー・ウィーバーがいわばその逆の、自分は何も奪われないと信じている役を演じ、その天真爛漫さで自分と周囲を救っていた。これは本人いわく「小麦粉のダマ(=周囲と説け合わない白人)」だったから出来る芸当なんだろう。私達には違うものが必要だ。



▼国際捜査!

完全に男の映画だから好きにはなれないけれど、監督が前作と変わらぬものを描いてるという点で昨年見た「スタートアップ!」(感想)と同じ面白さがあった。前作の「ありふれた悪事」と同じく主人公が犬を邪険にするのに始まることからもそれが分かる(尤もそこには自分と犬とを重ねているふしがある)。

ビョンス(クァク・ドウォン)も「ありふれた悪事」の原題同様「普通の人」…家族を愛し(ているつもり)、金や女が眼前にあればふらつく刑事の男である。しかしもう1987年じゃないから、あるいは「ここはフィリピン」だから、「正直に言って下さいよ、金か友情かどっちだか」「金のような友情だ」が成り立つ。金のため家族のためと致し方なく裏切られ殺されたキム・サンホが、こちらでは友情により命を長らえるのだ。

旅行先のフィリピンで父親と離れることになった幼い娘の暗い横顔を、カメラは静かに捉える。そこからの、ビョンスが娘をかき抱いてあることを選択、決意する場面に、彼女が生きるこれからの世界はそうであってほしいというのが彼の、あるいは作り手の願いなんだろうと受け取った。

週末&平日の記録


雛祭りのちらし寿司のお刺身はサーモンに白海老。全部美味しかったけど、意外にもとびっこの輝きと味がとてもよかった。
ケーキは新宿高野の「弥生」。やよいひめ苺の美味に、苦手ながらつい選んでしまう「桜」味のソースも食べやすかった。


RINGOにてハーゲンダッツとのコラボ商品、カスタードアップルパイバニラアイスクリームサンデー。バニラアイスの下に、写真じゃ見えないけれど切り分けたアップルパイ。見えていればもっと可愛いのに。
レジ脇で見つけた5周年記念商品のアップルパイマフィンにはスプーンがついてきたのですくって食べるようだけど、みっちりしていて出てこなかった。味はよし。


行ってみたかったイッタラ表参道カフェにて、シナモンロールとカレリアパイにスペシャリティコーヒーがセットになったフィンランドコンボ。ライ麦生地にお粥を包んで焼いたカレリアパイ、初めて食べたけど、エッグバターが合って美味しかった。