巡礼の約束/ラモとガベ


岩波ホールで開催中の「映画で見る現代チベット」にて観賞。公式サイトに「チベットの女性が見えてくる」とあった二作を続けて見てみたところ、どちらも男の映画だった。「女性問題」とは男の問題なのだと実感できた。

▼「巡礼の約束」(2018年/ソンタルジャ監督)は五体投地でのラサ巡礼に出た妻ウォマを追う夫ロルジェと前夫の息子ノルウの旅の物語。

冒頭、ウォマが周囲の皆を愛しているのが伝わってくるもののどこか地に足がついていないような奇妙な感じを受け不思議に思っていたら、次第に理由が分かってくる。これは彼女が誰かに向ける思いや誰かとの関係の話ではなく、彼女をめぐる男達の交流や関係の話だからである。愛する人々(見る限り周囲にいるのは家族だけである)の気持ちに沿って自分を形作って生きてきたウォマが死を目前にして「約束」を実行したことにより、押し込められていた問題が噴出するのである。

病院からの帰り、バイクの後部座席で夫の背に頬を寄せるウォマの愛に溢れた表情が印象的である。およそロルジェは前に、ウォマは後ろに居ることが多く、テントの中での「ここに座って」にも夫は背を向けて座り、妻は腕を伸ばす(ここからの二人の動きとカメラは実に流麗)。終盤のロルジェのノルウへの「男は人の後ろを歩くもんじゃない」には、またそんな男を作るつもりなのかと思ったものだけど、彼が人を育てる段階に入ったことが確かに強く表れていた。

▼「ラモとガベ」(2019年/ソンタルジャ監督)はラモとガベの若い二人に英雄叙事詩「ケサル王物語」を重ねて描いたという一作。


「女という弱い存在である私は悪行を働いたことはありません。
 しかし何の因果か苦難ばかりの道のり。
   (略)
 私の名前はラモと申します。」
   (この映画のラモの口から最後に流れ出る文)

「こんな簡単なことがなぜ出来ないんだ」とはあちこち駆けずり回るはめになるガベの序盤のセリフだが、これを聞いた時には私も確かにそう思った。そもそも何の話だか掴めなかった。しかし終盤、これはまさに「そういう話」なのだと分かった。始めは何が何だか分からない彼が、自分の生きる世界の根にあるものに気付く話なのだと。

ガベの関わる女二人、元妻のツォヤクと恋人のラモは周囲の抑圧を受け入れ心を殺して生きていたが、ツォヤクは親戚が結婚届を出した後、ラモは物語が進む中で、自らの心のままに行動することにする。前作「巡礼の約束」同様、女が心を解放したことにより男には「やらねばならないこと」が生まれる。ガベは自らに滑稽な英雄の髭を描き、気付かぬうちに負わせた怪我の治っていなかった馬をそれこそ力任せに逃がそうとするのだった。


映画の前に、曙橋のチベット料理店タシデレにてランチ。豚肉とじゃがいもと春雨のスープ(ピンシャ)に蒸しパン(ティンモ)とモモ、ご飯のセット。全部美味しくて体が熱くなった。最初に出てきたほうれん草のスープ、食後のチャイもよかった。