1秒先の彼


リメイク話を聞いた時に気付いて然るべきだった、これは岡田将生を生き人形にするための企画なんだと。バスの窓からの画で「美」に興味のない私にも衝撃が走った。加えて「死んでるんですか!?」というオリジナルではあり得なかった突っ込みから死体コメディの様相も呈してくるのが面白い。しかし岡田将生演じるハジメが職場でも家でも口に出して言われる「見た目はこれなのに(中身は…)」という設定、私はこれが大嫌いで、昔の少女漫画で多用されていたのは主人公を「美人」にするための言い訳に違いないけれど、いまだこれを用いるのはルッキズムの肯定としか言い様がない。

差別発言の要因が発言一つでなくその根にあるように、作品に1か所ダメなことがある場合は往々にして根っこが問題なのである。『1秒先の彼女』では本編の後に「自分を愛そう、愛してくれる人がいるから」との文が出て、ああだから全編に渡って感覚がずれていたのかとはっきりしたものだけど、こちらではそれを清原果耶演じるレイカが口にする、「誰かの大事な人に酷いことするんじゃない」と。これは山下敦弘の(脚本は向井康介だけども)『もらとりあむタマ子』で無職のタマ子が政治に文句をつけるのがジョークとされていたのを思い出させる、もう10年も前の話だけども。誰かに愛されているか否か仕事があるか否かなんて別に関係なくね?と。

『1秒先の彼女』で最も心に残ったのは、人より1秒遅いグアタイが人より1秒早いシャオチーを撮るも通り過ぎる彼女の長い髪しか映っていない写真の、「止まっている」(つまり生き人形の)彼女の写真の数々には決して無い異様な美しさ。本作が再現したハジメの退勤時の写真にはそれが全く無かった。加藤雅也演じるハジメの父の物語が大きく絡むのも、いかにもクドカンらしくは感じたけれど、映画の終わりにレイカが彼からのある物を持って現れる場面など、あれこれを経て今、心通わせようとしている相手が更に自分にとって大事な人からのメッセージを携えているだなんて、「鴨葱」とはちょっと違うな、何と言えばいいのかな、ともあれ余りにくど過ぎて笑いが出てしまった。