シャン・チー テン・リングスの伝説


映画は攻城戦に始まる…と思いきや、トニー・レオン演じるシュー・ウェンウーがテン・リングスでもって相手側の門を一気に破壊し戦いはなくして終わる。彼は人の門を壊し続けてきたんだろう、その中にずかずか入り込んできたんだろう、でも自身の中には誰も入れようとしないんだろう、要塞や決して開かない拳からそのことが見て取れる。

ウェンウーも妻イン・リー(ファラ・チャン)と暮らしていた間は彼女に教えられ拳を開いていた。「ウェンウーと呼んでいたのは妻だけ」とのセリフに、この物語では自分を本当の名前で呼ばせることと掌を開くことは似た行為なのかなと考えた。彼のような男にとっては勇気のいることなのだと。シャン・チー(シム・リウ)に対するケイティ(オークワフィナ)の「シャン・チーからショーンって、そんな変名じゃバレるに決まってる」とは単なるからかいのようで、本名に近い呼びやすい名を選んだ15歳の彼が出自を断ち切れなかったこと、否応なくその名を明らかにした現在の彼が試練に立ち向かわざるを得なくなることを示唆している。

冒頭シャン・チーがいつものようにケイティの家で朝食をごちそうになる一幕がいい。彼女の祖母に「そこはおじいちゃんの席だ」と言われ謝って退き、その後に話を聞く笑顔に一秒で心が溶けた。亡き夫に風習の贈り物を続ける祖母の肩を持つ母と、ケイティの「ママはアメリカ人じゃん」とのやりとりを振り返ると、千年生きるウェンウーが死者への未練を断ち切れないのは「中国人」だからとも受け取れる。そこに開けない拳と強大な力が備わったら?人は弱いものだから、どこまで滑り落ちるか分からない。

シャン・チーの妹シャーリン(メンガー・チャン)は父親に禁じられた武術を見よう見まねで隠れて覚えるしかなかった。かつての母やその後に会う伯母イン・ナン(ミシェル・ヨー)は平等にこだわり小さな彼女の方を先に呼んだりハグしたりするが、先のケイティの家での場面と対になっているような「とうにばらばら」の家族の夕餉での彼女の表情は、「家」での鬱屈はそのうち霧消するだろうと軽視されるものではないことを語っていた(一方でシャン・チーには父の拳の影響が強く、母が教えた「死者は自身の心の中に在る」ことを村に来るまで体得できない)。だから…「アレ」には結構、そうでなくちゃと思わされた。