マルモイ ことばあつめ


「韓国は第二次世界大戦後に独立した中で自国の言語を取り戻した唯一の国である」。何てすごいことだろうと思う。次に韓国に行ったら、映画の終わりに紹介される実際の辞典が所蔵されている国立ハングル博物館を訪れてみたい。できれば寄付など何かしたい(昨年訪れた済州4.3平和公園へは、帰国後に同居人がささやかながら寄付をしてくれた)。

劇場の後輩の下手な呼び込みに「棒読みだな」と手本を見せるキム・パンス(ユ・ヘジン)は、肉体的には言葉の達人である。作り話で周囲を楽しませたり、知らない人には「中国語?」と聞こえる済州島の方言の特徴を一度で掴んで披露したり。言葉の定義は出来なくとも、朝鮮語学会唯一の女性メンバーである(映画の終わりに挿入される実際の写真によると確かに数名いたようだ)ユ・ジャヨン(キム・ソニョン…「愛の不時着」の人民班長!他のドラマでも見るけれどスクリーンでは初めて)いわく「なんとなく的を射てる」。
ユ・ジャヨンの話を何とはなしに聞き流した後で、娘スンヒと一緒の車内で「そういや(『내(ネ・私の)』じゃなく)『우리(ウリ・私達(の))』と言ってるな、『クルマ』いや『차(チャ・車)』!」と自分の使っている言葉について意識し始めるのが面白い。ちなみに本作のテーマとも言える「우리」は以降何度も出てくる、例えば処分を命じられていた郵便物を救ってくれた局員?が「私達も朝鮮人」と言うように。

見ながらつくづく思ったのは、抑圧されている人間は持てる力を出し切れないということである。代表として追い詰められ冗談も言わなくなり、「怪我をしている人を見たらまずどうしたのか聞く」ことすら出来なくなってしまった(チョ先生は口にできるのだ、年長者だから!)リュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)を始め、やりきれずこれまで以上に酒に走ってしまう者、家族の命と引き換えに仲間を売ってしまう者、仲間の皆を疑いの目で見てしまう者。保身のため公聴会に参加できない教師達だってそう(私がその立場なら出ていけただろうか)。リュ・ジョンファンの父の言う「十人の一歩」には非常な困難が伴うのだ。
それじゃあ何が大事って、この映画の返答はまず交流である。命を賭けていながら同じ街に生きる者達を見落としていた学会のメンバーと詳しいことは分からないけれど言葉と共に生きてきた者達の出会い、キム・パンスいわくの「14人の一歩」は西部劇ふうに面白おかしく描写されていたけれど、振り返るとすごい場面だったと思う。