ダゲール街の人々/アニエスによるヴァルダ


アニエス・ヴァルダをもっと知るための3本の映画」にて観賞。写真はシアター・イメージフォーラムの外の壁にいたヴァルダ。

「ダゲール街の人々」(1975/フランス、原題「Daguerreotypes」)はジャック・ドゥミと暮らしていたパリ14区のダゲール通りを捉えたドキュメンタリー。ヴァルダの映画はやはり顔の映画、それから道の映画だと思う。いつもの道から脇に入ってみよう、窓の中から外を見てみようというやつだ。両側にびっしりの路上駐車の間の一方通行をゆく、教習車といういわば動く商店もある。その場合「忘れられた在庫」とは座学の講義内容か。

肉屋さんのウィンドーの外の人が中の人になる瞬間。そのウィンドーは実は開いておりいわば地続きだったと郵便物の手渡しで分かる瞬間。パン屋さんの窯を捉えた、バゲットが焼き上がるくだり。出会いと夢について。出発点、帰着点となる薬局のドアが閉まって私達は通行人に戻り、これはルポタージュ?エッセイ?分からない、と最後に彼女の署名がなされる。


「アニエスによるヴァルダ」(2019/フランス)は自身のキャリアを皆の前で振り返るドキュメンタリー。彼女のテーマ「ひらめき、創造、共有」について作品を引きながら語られる。現実の中から生まれるひらめき(最も分かりやすい例が「落穂拾い」)、創造(「冬の旅」の移動カメラや「少年期」のどアップなど)、最も面白く心惹かれるのが共有についてで、「独り占めしない」「(1967年の作品『ヤンコおじさん』について)楽しいおじさんを共有できた」と作用する。共有に必要なのが編集であるというのも面白い。

特にフランス映画を見ると窓とは社会運動の場でもあると思わされるが、「ダゲール街の人々」でヴァルダはこの街のウィンドーには政治色は邪魔なので無いと言っていた。「アニエスによるヴァルダ」では「ダゲール街」の話に続いて「この映画の反対」と「ブラックパンサー」が引かれる。自分達の美しさについて語る女性の顔のアップがヴァルダの映画でしかないのが、スクリーンで見ると驚異的だった。

(出産一年後、ドイツのテレビ局から白紙委任で映画制作の依頼を受けて)
「私は女性の創造性―家庭や母親としての役割に常に少し不自由を感じ窒息しそうになっている創造性―のよい見本のなるのだと自分に言い聞かせた」「ほとんどの女性は家庭に縛られているという事実から出発した。自分を自分の家庭に繋ぎとめた。新しいへその緒を思い描いて、特製の80メートルの電源ケーブルを家のコンセントに繋ぎ、それが届く範囲のスペースを自分に与えることにした」
(「天才たちの日課 女性編」アニエス・ヴァルダ、1975年のインタビューより。こうして作られたのが「ダゲール街の人々」)

天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

天才たちの日課 女性編 自由な彼女たちの必ずしも自由でない日常

  • 作者:メイソン・カリー
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/09/26
  • メディア: 単行本