パパは奮闘中!


映画は子ども二人が寝ている暗いうちから車で出勤するオリヴィエ(ロマン・デュリス)と、その子らと楽しそうに、傍からは円満に見える時間を過ごす妻、その間に彼が職場で人事担当者に同僚の解雇を取り消すよう掛け合っているのに始まる。失業率の高い現在のフランスで「嫌ならよそへ行け」と言い放たれるこの主人公は家庭を顧みないのではなく顧みることができなかったということなのかと見ていると、それだけではない、もう少し違う話だ。

冒頭のオリヴィエの嘆願は「上が決めたことだから」と取り合ってもらえず、暖房を付けてくれとの要望も無視される(その代わりにサンタ帽が配布されるというジョーク)。労働組合に属し仲間をかばう彼の行動は全く実を結ばず、同僚からは告げ口を疑われもする始末。組合仲間はあまりの報われなさに抜けてしまう。そんな余裕のない環境において、オリヴィエはどこにおいても「一人」できりきりしている。これはそんな彼が最も大切なところから、すなわち家庭から、「私たち」を始めようとするまでの話である。子も含めて「私たち」になることで苦境を乗り切り、それを職場にも広げようというのだ。

妻を失ったオリヴィエの家へ母親と妹がやって来ることで、夫婦とその子ども達という家族が繰り返されているというこの物語の形が浮かび上がってくる。彼の父親は子の成長を見ないまま早く亡くなったが、同様に家族と「語り合う」ことのなかった彼は、逃げたかったけれども我慢した彼の母とは違い自身を守って逃げのびた妻のおかげで否応なしにコミュニケーションを取る機会を得られたのだと言えよう。いったん失った子を再び得た朝に生まれ変わったオリヴィエは、カウンセラーの前で子の中心に腰を据え「皆」と口にする。皆が彼女を待っていると。「決めるのは彼女」とプロは返すが、「私たち」になった家族は前より強い。

オリヴィエが「私たち」をまず家族から始めるのは、そこは彼の力でどうとでもなるから、換言すれば「私たち」という意識を作り上げることができるのは大人の側だけで子には不可能だからだ。フランス映画といえば「太陽のめざめ」で一人の子のためにいかに多くの大人が心を砕いているかが描かれていたのが忘れられないものだけど、本作では特に学校など何の頼りにもならない。「気を付けて」との声かけが精一杯のようで余裕がない。教員のみならず大人は皆、自分に少し余裕があるなら周りの子どもに目をやった方がいい、そんなふうにも見た。