500ページの夢の束



見ている最中には初めて何かを食べるような、いや初めて何かを食べた時の気持ちを思い出すような、見終わってからは荷物を手に劇場を出る時に私もどこかに出発する気分になるような、そんな映画だった。


ピアノの鍵盤って、常に初めてのような新鮮な感触がするものだ。姉妹がかつて並んで弾いたピアノ、ウェンディ(ダコタ・ファニング)はオードリー(アリス・イヴ)と一緒だったから触れられたのかもしれない。道中iPodを盗まれたウェンディの耳には入店ブザーなどがうるさく響くが、最後に彼女が奏でる「ブザー」はとても優しい。


施設に勤めるソーシャルワーカーのスコッティ(トニ・コレット)がウェンディに唱えさせる「日課」の始めに生理か否かの確認があるのに、教員免許を取る際に特別支援学校に数日間だけ実習に行った時、あらゆることが大変だった中でも特に生理についてが難しかったのを思い出した。この映画は全てをさらりと明るく描いている。色んな領域でそういう姿勢の映画って必要だと思う。


冒頭ウェンディの脚本のタイトル「多数と少数」が目に入り、久々に向かい合う姉妹の様子がまるで違う種族の対面のように見え、スコッティが原題(「Please Stand By」)を口にしてその意味(「スター・トレック」のセリフであること)を知る。ここで引き込まれるが、物語が進むにつれ、例えば種族が違えど「スター・トレック」への愛で繋がる者同士がいる、何だかんだで物事は縦横無尽に散らばっているのだと、それこそ銀河のようなイメージが脳裏に浮かんだ。


ダコタ・ファニングが閉じた目を開くオーブニングは、その後の展開からしてそういう意図じゃなさそうだけど、私には、これから意識して世界をちゃんと見てというメッセージに思われた。映画の終わりに姉妹が車にもたれる時、ウェンディ、いや私達の世界はこんなに楽しいじゃないかと心が踊り、彼女がメモに形をとどめたショッピングモールのあの天窓がふと、とても懐かしく感じられた。