結婚まで1%



「カリテ・ファンタスティック!シネマコレクション2018」にて観賞。映画が終わってクレジットでレベッカ・ホールがプロデューサーの一人でもあると知り、なるほどあの主人公の造形に惹かれたに違いないと思う。ベッドでさかさまに映る時、目をぱちぱちさせながら「報告」を聞くダン・スティーヴンスは未知の生物のようだった。バッハに始まるピアノがとても効いていて、しじゅう既成曲が流れているのに全然うるさくなくて、音楽面でも好み。


レベッカ・ホール演じる姉アナと弟ヘイル(デイビット・ジョゼフ・クレイグ)が道を選び直す話である。教授(ミッチェル・ハースト)の「What do you want?」からの、やっぱり私はこれは要らない、あなただって「他人が居なきゃ自分が分からない」って、自分でちゃんと分かりたくない?までの話なんである。「家に入ったら住み続けてしまう」とはよくぞ言った、階段の下から語り掛けるアナの瞳と鼻声の後ろに、大げさな言い方をすれば、これまで「家に入った」幾多の女優を見た。


皆の変化の切っ掛けを作るリース(モーガン・スペクター)だけが頑として変わろうとしないんだから面白い。彼はあることにつき、恋人のヘイルに「君だって昔はそうだったのにずるい」と言い「今は変わった」と返される。ブライアン・クラノ監督の実生活でのパートナーであるクレイグ演じる彼のこの言葉こそ重要で、人は変わるものだし、それゆえ常に話し合わねばならない、話し合いを拒否する相手とはやっていけない。また話してみた結果どうしても食い違うのならば別れた方がいいかもしれない。「つばをはきたいと思ってほしいけれど、はいてほしくない」という気持ちはどうにもならないんだから。


デーン(フランソワ・アルノー…「マイ・マザー」のアントナン)の「君が(泊まらず)帰る前に朝食を作ってるんだ」、こんなセリフ一つで映画は忘れ難くなる。盛り込まれている要素のうちの一つは、誰かと「セックスだけ」をするなんて出来ないということである。それこそよく言う「労働力を呼んだらやって来たのは人間だった」にも似て。パートナーとのみセックスをするということだって、閉じているというより、そういう形で社会と関わることを選択しているとも言える。


ウィルが旧友のリースとこつこつ作っている家の内装はなかなか完成しない。この映画では、いやどんな映画でもそうだけれども、「家」はその人そのものである。アナとのベッドから移動して一曲弾き始めるデーンの姿に、ああ、ああいうことってあると、今はもうしないけれども、会ったばかりの人の家に行ってへえこんな人なんだと知る時の何とも言えない楽しい気持ちを思い出した。リディア(ジーナ・ガーション!)の家(=彼女自身)も映るごとに魅力が増す。増してしまうと言った方がいいかな。その「しまう」に込められている何かが、この映画がセックスを表に出している所以であろう。