レディ・プレイヤー1



予告で聞くたび何て凄い音だと思っていた「Jump」で幕が開くなり、奇妙な感じを受ける。この曲は何のつもりだろう?映っている現実には合わないし、ウェイド(タイ・シェリダン)達の希望とも思われない。一方エンディングの「You Make My Dreams」は「(500)日のサマー」と同じく現実で女の子とうまくいったしるしとして流れる。この映画は仮想を反映する曲に始まり現実を反映する曲で終わったように見えた。


ウェイドは最初のデートで早々に「リアルで会えない?」と迫る。アルテミス(オリヴィア・クック)の方は現実を変えたいと目標を語る。おばさんが男を棄てない、家を持ちたがるのだってそう、作中の人々は全然現実を捨てていない。とはいえ、アルテミスはバーチャルでのデートなんてむなしいと言うけれど、あのダンスシーンのきらめきたるや「パディントン2」の「飛び出す絵本」並みに涙がこぼれそうだった。realtyはrealにしかないということをゲームを魅力的に描いた映画で語るというのは、物語は物語でしかないということを魅力的に語る映画に似ている。


見ながら一番思っていたのは、今時こんな間抜けな悪役でも馬鹿馬鹿しく感じられないんだからスピルバーグはすごいな、いや違う、そういう類の映画というものがあり、それをいつだって面白く見せられるのが巨匠なんだな、ということ。更に言うなら、敵も味方も皆、同じ世界に生きる者として同じ方を向いているようだった。IOIのラボで何度も抜かれる女性研究員の生き生きしていること。それにタイ・シェリダンとベン・メンデルソーンの、口元のぷうとふくれた感じはどこか似ている。