ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー



公開初日、TOHOシネマズ新宿にて2D字幕版を観賞。面白かった。写真はロビーに飾られていた監督のサイン入りポスター。
昨年の「フォースの覚醒」と同じ「ストームトルーパーが勤務中に無駄話をしている」という小ネタがあるんだけど、あの、はじけてない、もっと面白いこと言わせなくていいの?みたいな感じが、実にギャレス・エドワーズ(最早そこも好き・笑)


(以下「ネタバレ」あり)


オープニング、分かりやすく義憤を誘う「ドラマ」の後にタイトルが出たかと思えば、(予告などから「こちら側」と分かっている)キャシアン・アンドー(ディエゴ・ルナ)が「敵」だけでなく「仲間」を手に掛ける。少々戸惑っていたら、これはそういう話なのだ。後に、憤るジン・アーソ(フェリシティ・ジョーンズ)に向かって彼は「全てを失い六歳で少年兵となった、命令に従うしかない」と自らを語る。ソウ(フォレスト・ウィテカー)の反乱軍にも忌憚されるやり口、帝国軍の「テロリスト(ソウ)から市民を守ってやっている」というアナウンス、全てが「現代的」だ(それゆえ、ビジュアルとしては中東をイメージしているであろうジェダに、「現代的」な大国の出で立ちでない「ストームトルーパー」達が居るのが奇妙に感じられもした)。


タイトル直前のソウの「長い旅が始まる」とのセリフに、私としてはつい「今」(=シリーズ8作目を待っているこの「今」)を重ねてしまうわけだけど、ジンにとってこれは特別な言葉である。冒頭二度「目覚める」時、彼女がいずれもこの「ソウが自分を迎えに来た」場面を「見ている」のは、彼女の時間、旅があそこで止まっていたからなのだと思う。それが彼と再会してのやりとりで、また流れ始める、旅が始まる。「何が望みだ/大義のために戦う気はないのか/銀河に帝国軍の旗が翻ってもいいのか」「見なければいい」から色々あっての、後の評議会の場での「勝算があるか否かじゃない、それを選ぶか否か」には涙がこぼれた。
ジンは15年ぶりに再会した父親ゲイレン(マッツ・ミケルセン)との最後のやりとりにおいて、「私達」は必ずやり遂げると誓うが、「辛い時はいつも一人だった」と言う彼女が、即席チームの出来る前にこんなことを言うのはなぜだろう?父も含めての、何か大きな「仲間」とでも言うものを指しているのだろうか。


これは「伝達」の物語である。物語だから、目に見える、あるいは言語化出来るもの、一人の男の投げた小さな石…というにはあまりに彼の全てが賭けられているけれども…が次々と手渡しされてゆく(同時にブラスターのような「物」も手渡しされる)。しかも最後の最後は「名も無い」どころか映画において役名もないであろう者達の手によって運ばれるのだ(しかもその時に抗う相手は作中最強のベイダー卿)。
帝国軍の中で上り詰めて来たオーソン・クレニック(ベン・メンデルソーン)のジンに対する最後のセリフ「お前は時間を無駄にしただけだ」には、体制側は人々に「反乱なんてするのは時間の無駄だ」と思って欲しい、ということがはっきり表れている。でも見ている私達は「無駄じゃない」と分かっている。クサかろうと確かに「希望」の物語だった。


最後に書いておきたい、ドニーさんのこと。10年程前から、ドニーさんが出てる映画!と意識して見てきたけど、彼のこと、好きだけど、正直言って、ドニーさんが「何」なのか私は分かっていなかった。こんな、と言ったら変だけど、「主役じゃない」映画で初めて分かった、ドニーisドニーなんだって。初めて彼を直視した気がする。