捜査官X



ドニー・イェン×金城武。内容知らずに観たら、奇妙に面白い映画だった。安定のヒーロー物語を柱に色んな要素を絡め、絶妙のテンションで魅せる。とある村で起きた「殺人事件」を機に、「一介の紙職人」ジンシー(ドニー)と都会の捜査官シュウ(金城武)が、それぞれの性分に沿い、しなきゃならないことをする。


「あなたは一体、何がしたいのですか」「ちゃんと裁判を受けさせたいんだ」。法の執行を第一と考えるシュウの信条は「どんな体を持つかで人間の善悪が決まる」。夜には体内の毒を弱めるために一本、「同情」心を抑えるためにもう一本、自らの体に鍼をうつ。頭でもって体を手なづけて生きている。色々考えるも(でもってちゃんと「その通り」であっても)何の役にも立たない彼は、事件を見届けるだけの金田一のようだ(笑)「証拠」をあげるため、ジンシーを川に突き落とし、鎌で切り付け、寝姿を観察する、その狂気には笑うしかない。しかしジンシーが怒りもせず自らの「過去」を告白するのは、彼の魅力、あるいは二人の間に発生した何らかゆえだろう。
演じる金城武は、回想シーン以外は丸眼鏡姿。美しい瞳を縁取るもう一つのお目め、という感じでよく似合っていた。とくに前半など、どこのレオだってくらい眉間にシワ寄せてるんだけど、それも眼鏡で中和されていた。


「なぜ私を殺さなかったんだ?」「だって、もう戻ってこないと言ったから」。見たものを素直に信じるジンシーは、シュウより先に彼に目を付ける。「因果が全てなら、殺人も皆の責任ということになる」と尤もな事を口にする。
物語はジンシーの「いつもの朝」から始まる。線香の目覚まし、二人の子どもとのやりとり、妻の作ったおかゆや筍の朝食、そして磨いた道具を手に家を出る。ドニーにはこうした「穏やかな毎日」といったものが似合う。妻やシュウとのやりとりの場面には、以前何かのDVDの特典映像でウィルソン・イップが言っていた「アクションが出来るから映画に出られるわけじゃない」というのをまた思い出した。
冒頭、寝床でジンシーの着物を握っているのは、体を見れば妻なのに、一瞬子どもかと思ってしまった。タン・ウェイの、浅黒くふっくらした手。アジアの妙といった感じの見事な顔。中盤、儀式の最中に夫の「正体」を知り始めた際の表情がいい。


この映画、それほどアクションシーンが無くても全然成立するはずなのに、ドニーのアクションは超濃厚で、力強いレリーフのように屹立している。しかもその内容がバラエティに富んでいる。まず話の発端となる「事件」において、ドニーはシュウに対する説明によると「とにかく相手から離れまいと」、正確には「相手の力を利用して相手を操る」肉体技を見せる。これは新鮮だ。その後の大きなアクションシーンは二つ、牛小屋(!)での戦いと、「ラスボス」であるかの人との戦い。音楽も世界区という感じで盛り上がる。


舞台は1910年代の中国、山奥の小さな村。見ていて、全てが渾然一体といった感じを受けた。作中「馬」や「○○」を食べた、という話が語られるのもその印象を深める。ハエがあらゆる生物と共生するかのように辺りを飛び回り、雨が降れば道は川のようになる。シュウはその中をじゃぶじゃぶ歩く。彼が川の中に渡された橋?を歩くのを見下ろしたカットがとても良かった。