レッド・スパロー



冒頭、ドミニカ(ジェニファー・ローレンス)は紹介された重鎮の男に「私は君の役に立つよ」と背中の肉を掴まれる。次いで挿入される彼女の無表情に見える顔のアップが、私にはこの物語の始まりだった。その後もワーニャ叔父(マティアス・スーナールツ)や上司など全ての男が彼女に見返りを求める。「少なくともアメリカには個人の自由がある(から善い)」と寝返っている男さえ大義のために彼女から選択肢を奪う。唯一ネイト(ジョエル・エドガートン)だけが「自分は何を望んでいるのかゆっくり考えろ」と言う。これが彼女の、物語の分岐点となる。


(以下「ネタバレ」あり)


「私は、国家の美しい武器」が日本での宣伝文句だけれども、ドミニカはそんなことは皮肉でも思っておらず、パワーを持てば持つほど「女」の装いをしなくなってゆき、先の無表情からかけ離れてゆく。終盤最も力を発揮する時には素顔に病院着や拘束服である(駐在大使に「あんたは使い走り」と言い放つ時の顔!)。彼女が自分の望みのために使うのはいわゆる女の武器ではなく、知力と、自身の体をセックスではなく拷問に差し出すという方法である。


養成学校でのドミニカの「大股開き」シーンからは色々なことが確認できる。女は自身にその気があってもなくてもセックスの相手に「されてしまう」ものだが、パワーさえあればそれが逆転し、男に恥辱を与え得る。更に想像するに、パワーのある側であれば、ジェニファー・ローレンスのような「美しい」体でなくても「私を見ろ」と強制でき、それが愉悦ともなり得る。それにしてもあの場面、やるならあれしかないよね!超「共感」してしまった(笑)


映画は別々の一人と一人に始まり、その一人と一人の繋がりを示唆するのに終わる。ドミニカは監視官(シャーロット・ランプリング)に「感傷的な手を使っている、自分が傷付かないやり方を選んで楽をしている」、ネイトは敵方のワーニャに「弱さがあるから、もっと情の移る相手(ドミニカ)を与えよう」と評されるが、結局は「感情」を重視する二人が生き残る。また彼女が常に求められてきたのが「肉」だとすれば、最後に彼女に与えられるのはそれから最も離れたものである。


「ロシアだけが偉大な国家だ」と言っているロシア側の皆がロシア訛りの英語を喋っているのはいかにも間抜けだが、この映画はロシアのことを真面目に考えてはいないので(一方で「Handsome American」にロマンを託しているので)構わないのかもしれない。作中都合上ロシア語を口にするのがドミニカに「ロシア人かと思って」と声を掛けるネイトと米国人の悪口を吐き出す上司というのはねじれた表出だ。


実のところ、この映画で最も魅力的なのはぼろぼろになったマティアス・スーナールツである。「一歩先をゆく」のが確かなら、「ドミニカが幼い頃から変な目で見ていた」彼の夢は彼女にしてやられることだったのかもと想像もした。