パディントン2



公開初日に観賞、面白かった。冒頭パディントン(声:ベン・ウィショー)が「飛び出す絵本」を見るくだりで涙があふれ、中盤刑務所ものを楽しんでいたら、最後には「ローン・レンジャー」ばりの大列車ものとしても魅せてくれる。声を出して笑っちゃったのはヴァンダムかよ!のボネヴィルのアレ(笑)皆の特技が活きるのもいいね。


ブラウンさん(ヒュー・ボネヴィル)は、おばさんへのプレゼントのために働き始めたパディントンに「この世は競争社会だ、君のような善良なクマは踏み潰されてしまう」と忠告する。作中ではブラウンさんの「心の危機」が仄めかされる。職場で有能な青年に出世の先を越され、自宅で「昔の私はもういない」と嘆いて顔パックをする。しかし彼には家族と、迎え入れたパディントンがいた。


フェニックス(ヒュー・グラント)も、(エージェントいわく)「他人に潰される」と言う。だから誰とも一緒に仕事をしないのだと。パディントンに「仕事はありませんか」と言われて「底辺から梯子を昇っていくしかない」と答えるのは、彼がかつてそうして役者として成功したということなんだろう。しかし彼には昔も今も誰もいない。


気になったのが、終盤パディントンが家に電話を掛ける早朝にブラウンさんが帰宅するという描写。保険屋さんが夜勤?とは思えないので激務も激務じゃないか。それならば仕事で「踏み潰される」と考えるのも致し方ない。すると翻ってフェニックスにも事情があるのかもしれない。いや、そもそも「自分は別」、な奴なのか、彼は。


(追記:後日twitterで、あのブラウンさんは街にポスターを貼りに行ってきたところなのではと言われて、ああそうか!と気付いた。そうに違いない、何てすてきな場面だろう。私の目は節穴だった)


パディントンが居なくなったウィンザー・ガーデンの朝に住人達がぎすぎすしている描写には、「素晴らしき哉、人生!」のポッターズヴィルのくだりを思い出した。私には、今の「忙しい」人々を救うのは、昔から住む人ではなく外からやって来た人なんだという主張に思われた。あるいは人を踏み潰すのとおそらく真逆の、映画の最初と最後に描かれる「躊躇の無いダイブ」。それは今や、時には、空を舞う「freedom!」よりも大事だとこの映画は言う。私には出来るかなと考えた。