手紙は憶えている



冒頭、施設内のゼヴ(クリストファー・プラマー)の部屋を出たところのカウンター内のモニタの映像がモノクロというせいもあり、「昔の恐怖映画みたいだな」という思いが加速する。ゼヴが乗り込む列車からの車窓風景が一瞬合成のように見えたり、「子ども」と出会うのがこの列車内と病院というのもそれっぽいなと思ったり。


(以下「ネタバレ」あり)


第一に、誰かが裁かれる時、その者が「その者」でなければならないとしたら…誰かがそうでなければならないと考えるとしたら…それは何のためだろうと考えた。二人目の「ルディ・コランダー」が「オットー・ヴァリッシュ」ではなくサバイバーだと分かり、その胸に突っ伏して泣き出すゼヴは、「そうするであろう、そうすべき人物」でしかない。原題「Remember」はマックス(マーティン・ランドー)がゼヴと「ルディ・コランダー」に突き付ける言葉であり、タクシーの運転手の「お代ならいただきましたよ」のrememberとはわけが違う。彼が何度も読み返させる手紙は「彼は我々が裁かねばならない、君の手で殺すのだ」と締めくくられているが、この「我々」の意味は重い。


第二に、老人とは「人間」の記憶の頂点にある、いわば滝のてっぺんのような存在だと考えた(「記憶」は「事実」ではない)。冒頭、マックスはゼヴの孫娘に「おじいちゃんとおばあちゃんが1946年に出会った頃の写真」を見せる。マックスと二人目の「ルディ・コランダー」をおそらく除き、男達には「子孫」が多くいるようで、彼らは男達の意識を、喋れば喋るなりに、喋らないなら喋らないなりに受け継いでいる。それは家族の外へも広がる。病室で少女に「手紙」を読ませるのにも作り手のそうした意図があるんだろうけど、なぜか全く迫ってこなかった。実は私にはこの映画はぴんとこなかった。変な言い方だけど、ぐっとくる映画というものは、「Remember」が私にも刺さる、すなわち誰への言葉でもあると思われるものだけど、そういう感じが無かった。映画の内からお話が出てこないというか。


どんな映画だってそうだと言われたらそれまでだけど、この映画においては、描かれない「未来」よりも描かれない「過去」ばかりが強烈な臭いを放っている。振り返ると、冒頭、ゼヴの妻の喪に服す親戚一同がユダヤ人の帽子を身に付けていたのがどうしたって思い起こされ、特に息子のチャールズ(ヘンリー・ツェニー)などこれからどうするんだろうと考えずにはいられないけど、それより強烈なのは、マックスの部屋の様子から想像「してしまう」彼の年月や、おそらく数十年ぶりのワーグナーと共に来訪者の報せを受け取った「ルディ・コランダー」の心境である。


ゼヴは手紙と銃と旅をする。クリーブランドで銃を求めて入った店で「それの威力はBB弾みたいなもんだ、こっちなら相手の動きを確実に止められる」と500ドル高い方を勧められ、そちらを買う。店には若い女性が銃を二丁持った写真に「賢い女はいつだって自衛」とか何とか書いてあるポスター。ああいうの、あるんだと思う。国境での「銃」ネタではらはらさせておきながら、考えればそれより面白いのは、ゼヴが銃を上着の下に隠しておくのが、手紙での指示なのか彼の才覚なのかよく分からないという点だ(このことは、見ているこちらに「語られていない」何かの存在を示唆している)。その後のショッピングセンターでの一件は、「アメリカ」は感じるけど、サスペンスとしては安っぽく、少々気がそがれた。