ガザを飛ぶブタ



イスラーム映画祭にて観賞、2010年のフランス=ベルギー作。パレスチナ人の漁師がブタを釣り上げてしまったことから始まる騒動を描く。終映後、80年代からパレスチナの取材を続けている古居みずえ氏をゲストに迎えたトークセッションあり。


司会の方によれば、ガザ地区が舞台でなければならないが現地ではロケが出来ないためマルタ島で撮影したそうで、「どこでもない国」の話であることにこだわった「独裁者と小さな孫」と同じものを「逆」のやり方で扱っているようにも思われた。古居氏によれば「風景は似ているし、あんな感じの漁師さんもいる」「あれは究極の理想、豚が繋いだ物語」(ではその「間」、すなわち「風景」や「人」は似ているのに「ああいうことはあり得ない」という、その間にあるものは何なのか)そして「普通の人達が暮らしていることを忘れてほしくない」。何でも入植地や屋上の兵士など、作中の要素は様々な時代の出来事がミックスされているそうで、そのことについての話が聞けた。


面白い話だと思ったけど、私はそれほど惹き付けられなかった。だってぐっときたのは、例えば、潮が満ち始めると船まで行くのに足がちょっと水に浸かる、その中を男達が歩く様子なんだもの(笑)漁業にも制限が設けられているため仲間達の労働の結果も芳しくなく、冒頭から、網に引っ掛かった魔法瓶や草履を女房に贈るという会話が出てくる。こんなふうに、外に出ている者が、大切な人にちょっとしたものをあげたいという気持ちっていい。こういう部分には「昔の日本映画」を見ている感じになった。


最も心に残ったのは、入植地との境のフェンス。主人公ジャファールはその中に暮らすユダヤ人のエレーナに、あるものを詰めた小瓶を売る。よくもまあ、あの格子に合う瓶を用意したなあ(私ならサイズが合わず渡せなさそうだ・笑)と思いながら見てたんだけど、後の場面でカメラが引くと、ブタさえ全然出入り出来る穴が開いている。そういう話なのだ。「究極の理想」だとしても、穴なんてすぐ開けられるのだ。終盤、小舟の上での議論や、先祖代々のオリーブの木を掲げながらの「私たちは家族です、戦争や諍いは起こしません」等のある種の「夢」の畳み掛けを経て、ジャファール達は(決して「女がいっぱい待っている」わけではない)「天国」に辿り着く。


トークの司会の方によれば、パレスチナ人のジャファールをイスラエル人の俳優が、ユダヤ人のエレーナをチュニジア人の女優が、またジャファールに「テロ」を強制する男(と司会が口にすると古居氏が「いまテロとおっしゃいましたが、彼らにしてみれば抵抗運動なのであって」と訂正されていた)もイスラエル人が演じていたりと、役者の多くは作り手の意図により出自と異なる国の人物を演じたのだそう(そのことについての葛藤もあったそう)。作中、老人の死ぬ死ぬギャグならぬ、パレスチナ人の「国がない」ギャグが出てきたけれど、あれを担ったエキストラ?はどこの国の青年だったのか。