明日へ



2007年、韓国の大手企業イーランドに大量解雇された量販店ホームエバーの非正規労働者達が500日を超えるストライキでもって対抗した実話を元に制作。私には読めないオープニングタイトルの横の「cart」(原題)の文字とイラストの意味が、ラストシーンではっきり分かる。
とても面白かった。いちジャンル「よく出来た韓国映画」であり、話の流れは勿論、彼女達が決まった色の口紅を着けるよう指示されていたことや職場の商品に手を付けなかったことなど「事実」であろう描写、祖母と二人暮らしの女子高生の髪の先がまっすぐなのは自宅で切ってるからじゃないのかと想像させる描写、全てが細やかで効いている。


オープニングはスーパーマーケットのレジの横で行われている朝礼。主人公ソニ(ヨム・ジュンア)は「もうじき正社員」だと名を呼ばれ、向かい合う正規社員と非正規社員の間に立たされ(そう、「お上」はいつも人々を分けたがる)、その日の「号令係」を申し付けられる。これは、狭間でどっちつかずでおどおどしていたソニの顔が全く変わるまでの物語である。
働く人々がものを食べる場面が多い本作において、終盤、ソニがとある外回りの途中に店先でさっと食事を済ませているカットがとてもいい。食べ物といえば、仲間内の年長者であるスルレ(キム・ヨンエ)の料理の腕(キムチをあげるタッパー、あんなにでかいのか!と思う・笑)や言葉の数々が活きるのは韓国映画らしいなと思った。


私は「ベッドではないところで寝る」場面のある映画に惹かれるんだけど、本作では仲間達がレジの脇の床で眠る。「皆で一緒に何かをする」ことのシンプルな高揚感が描かれているのがまずいい。「労働組合」なんて知らなかった彼女達が揃いのシャツに大騒ぎするのに始まり、温かい食事、今更ながらの自己紹介、寸劇、歌と踊り。「The Mart、私たちはスペシャルラブ〜」なんて替え歌には、「会社とは『どこ』にあるものか」と思う。
仲間とはいえ立場はそれぞれ、ソニ以外の者の生活の場は見せず想像させる。オクスン(ファン・ジョンミン)はあれをしろこれをしろと言われる自宅より冷たい床の方がよく眠れると笑う。ヘミ(ムン・ジョンヒ)は「シングルマザー」であることを、カン(キム・ガンウ)は独り身であることを身軽だと羨まれる。それでもやれる人がやらなくちゃ、正規社員であるカンが「The Mart」のネオンサインに対峙する形で「労働組合の委員長です」と名乗る場面にはじんとした。


解雇を告げられた日の夕食時、ソニは息子テヨン(ド・ギョンス)の学校の用に「後で話しましょ」と返して席を立ち、流しで最後の一口を押し込み、ゴミをまとめる。スクリーンにでかでかと生ゴミが映るのは珍しいと思っていたら、中盤、テヨンも職場でゴミをまとめる。ざるの下に溜まった汚水を捨てるという描写が生々しい。「ゴミを扱う」のは労働の末端に居ることを表しているのではないかと考えた。
テヨンはその後、母親を追うように、「労働者は黙っているとなめられる、それじゃあ『悔しくて眠れない』」ことを身をもって知る。かつて権力によって檻のあちらとこちらに隔てられた親子はひしと抱き合う。ストライキでも団結の象徴だった(まるで、何かが取り上げられることにより弱者は団結するのだと言っているような)ろうそくの光が二人を照らす。


さて、自分はこれからどうしよう。あんなふうにビラを配っている人がいたら、ビラをもらおうと思う。話をしている人がいたら、話を聞こうと思う。ああいうスーパーマーケットがあるならば、少し遠回りして別の店で買い物しようと思う。いま現在の私には多少の余裕があるのだから、遠回りすべきなんだ。