ビッグ・アイズ



1960年代に人気を博した「ビッグ・アイズ」をめぐり画家マーガレットとウォルターのキーン夫妻の間に起きた出来事を、ティム・バートンが描く。
虐待はどこにでも起こり得るとはいえ、被害者が女となると「女性問題」として受け止めてしまうから(勿論重複するものだけど、そこばかりに気持ちがいってしまうから)、予告編の度に辛くて迷ってたんだけど、見てみたら面白かった。「チラシを有料にしたんだ!」のヴァルツ、最高(笑・あれこそお金の無い一般庶民に「アート」を「売る」事が可能になった、重要な瞬間だよね)


特に前半は、あの時代を舞台にしたお伽話のようだった。ウォルター(クリストフ・ヴァルツ)がマーガレット(エイミー・アダムス)に求婚したり、カンバスの前で「僕はキーン、君もキーン」と絵を描くよう迫ったりする場面での「おおいかぶさり」ようは、まるで「悪」に誘う者の陰。絵が「間違ったやり方で」世に出るクラブの暗さ、階段を上った塔のてっぺんか屋根裏のような小部屋、娘に嘘を付いた後に見る快晴の中の十字架(それにしても「男は一家の長なのだからその判断に従うべき」とはね)、そしてテレビの中に登場するテレンス・スタンプ
キャラクターが「場所」とセットになっているのも作りものめいた感じを与える。終盤、周囲の人々の「反応」を示すカットにおいて、友人はチャイニーズレストラン、画商はギャラリー、ウォルターはデートしたレストランと、変わらぬ場所に居る。


冒頭、マーガレットが夫から逃れてサンフランシスコに着き、太陽の下に出るとドレスの柄が分かるという演出が素晴らしく、心惹かれた。彼女の衣装はどれも可愛く、特にあの水着、最高に着てみたい!…のだけど、その身なりは次第に精彩を失っていく。わずかだろうと時代が下ったからか、私の目がこの映画に慣れて麻痺したからか、いや、お伽話のようだった映画が徐々に「現実味」を帯びていくからだろう。
映画は最後に、今も生きる「本物」の主人公に繋がる。あの写真が一番素敵に見えた。赤い口紅とカラフルなスカーフ、娘と並んでいるのかと思ってしまった(笑)


これはマーガレットの絵自体がどうこうという話ではない。彼女は「絵は個人的なもの」と断言するし、夫を初めて「追い出す」のは「画家ではない」と分かった時。これは彼女が大事にしたもの…画家であることと、それを取り巻く世界の話だ。
「久しぶりのデート」でマーガレットは「娘から妻に、更にすぐ母になった(ので「世界」を知らない)」と言う。ものを知らないと弱い立場の者は搾取されてしまう。彼女は「大切なもの」ゆえに目を開くことが出来た。しかし大切なものが無ければ、あるいはそれほど大切だと思わなければそのままだったかもしれず、「世界」と戦わずに済むならその方が楽だと感じる人だっていることだろう、とふと考えた。


マーガレットが友人から夫の「不貞」について聞かされても「稼ぎ手だし娘を大事にしてくれる」と意に介さないのに、同じ1960年頃の「実話」ものである「ストックホルムでワルツを」を思い出した。マーガレットとモニカは全然違う女だけど、いずれも娘を抱えて「夫」を必要としていた。そういう時代だったということだ。