ジゴロ・イン・ニューヨーク




「時間、時間が必要なの…」


ジョン・タトゥーロウディ・アレンを(共演に)迎えて贈る監督・脚本・主演作。
アレンが出ている場面のセリフは全て彼が書いてるんじゃないかと思われるほど、アレン色が強い。でもってそれ以外の部分はやけにロマンチック。可愛コちゃんを自作自演する役者って全然嫌いじゃないけど、この類のロマンチックは苦手だな。ちんこがたたないのは「誰かに恋をしてるから」って、21世紀にそれはコメディの文脈でしかありえないだろ!と「エージェント・ゾーハン」の素晴らしさを再確認(あんたも出てたじゃん、タトゥーロと・笑)「君はジゴロにぴったりだよ」というようなセリフの後に「女」になぞらえた「花々」のどアップ、慣れた優しい手付きで土をならしたり枝を揃えたりとその世話をするなんてのにもちょっとげっぷが出てしまった。


「ポン引き」になりたいウディ・アレンと「ジゴロ」になることを勧められて戸惑うジョン・タトゥーロの、ミック・ジャガーについてのやりとりが面白い。「俺は美男子じゃない」「男は顔じゃない、ミック・ジャガーを見てみろ、歌ってる時はひどい形相だけど君のようにホットだ」「彼がモテるのは有名で金持ちだからだよ」。この認識の差は世代かと思ったけど、アレンとタトゥーロがそれぞれ自分を男としてどう捉えているかの表れとも取れる。すなわちアレンは「ホットじゃない」、タトゥーロは「しがない」男だと。
「しがない」タトゥーロは、初めての客であるシャロン・ストーンの家を訪れる際、「友人のミホに教えてもらった」生花を持って行く。シャロン宅のリビングでの場面でカメラが引くと、画面の隅にそれが映る。全てがゴージャスで、あんなに素敵な贈り物が、あんなに小さい。でもシャロンは「あなたは棚のような男ね、手が届かない」。確固たる一人の男について、女達(ここではシャロン・ストーンとその友人)が勝手にあれこれイメージを付す。人間関係においては「当たり前」のことだけど、「ジゴロ」という題材によってそれが際立つ。途中まで、これはそういうコメディなのかと思った。


ところが物語の重心は、敬虔なユダヤ教信者の未亡人であるヴァネッサ・パラディとタトゥーロの恋に移っていく。二人が初めて一緒に時を過ごす場面では、映画のそれまでとは「時間」の流れが違う。がちゃがちゃしてたのが、落ち着いて、呼吸に合わせて一歩一歩進んで行く感じがする。後にパラディが、自分につきまとう警察官のリーヴ・シュレイバーに「いつも俺と会うと時間が無いと言って逃げる」と言われ、「時間が必要なの」と返すのは、ああいう「時間」のことかと思う。ちなみにパラディとシュレイバーの顛末には、随分な「男目線」だなとちょっとげんなりしてしまった(アプローチの仕方が嫌がらせにしか見えないのになぜか恋が成就する、80年代の苦手な映画の数々を思い出す)
急ごしらえの、「カウチ」じゃないけど簡易ベッド(あれは何だろう?)にうつぶせたパラディがしゃくりあげると、タトゥーロはでかい音を立ててティッシュを取ってやる。コップに水を汲んでやる。後に、彼を「共有したくない」位には惚れたシャロンが「今日は誕生日なの」と言うとすかさず「ハッピーバースデー」と言う(この時のシャロンの表情がいい)。タトゥーロはシンプルな男で、そこに「女」は惚れるのだ。


冒頭からアレンの会話に出てくる皮膚科医師役のシャロン・ストーンがとても綺麗に撮られている。広いテラスに蠢く肉が登場し、(予告編で出ると知っているから)多分シャロンなんだろうなと思う、振り向くとやっぱりそう。ソファに腰掛けた後ろ姿から登場し、カメラが前に回ると彼女を有名にしたあの脚が、というのもよかった。その後の脚の使い方もいい。でもきれいに撮られてるだけで勿体無い気もした。