ラッシュ/プライドと友情



バルト9にて先行上映を観賞。「映画の日」ということもあってか、ほぼ満席。
面白かった!んだけど、「対照的」な二人のキャラクターを印象付けていく冒頭は、ニキ・ラウダベン・スティラージェームス・ハントオーウェン・ウィルソンが演ってる画が脳裏にちらついてしょうがなかった(「ズーランダー」の頃の二人ね)。見たら皆思うはず!はず…



「大切なのは、私がどう思うかってこと」


何やら不穏な空に静かに「RUSH」とタイトル。1976年、雨のドイツグランプリ。ニキを演じるダニエル・ブリュールの落ち着き払った「自己紹介」のナレーションの後、二人がスタートを切ると、物語は「6年前」へ。
映画自体がレースのように、抜きつ抜かれつで「一番前」が換わるように、F3レースで出会った、「まだガキだった」ニキとジェームス(クリス・ヘムズワース)のパートが交互に描写される。冒頭の「不穏な空」の訳が分かってからは、ただ猛烈に駆け抜ける。見ている傍からもう一度見たいと思うのは、スピード感ゆえか、何かの不足ゆえか。
仲間に囲まれ、ファックしながら「これが俺」と自身を語るジェームス(この「俺」が最後まで変わらないのがいい!)と、単独で、商人の交渉力でもってステップアップしてゆくニキ。前半では、行き当たりばったりの性分のせいでくすぶっていたジェームスが、ニキへの対抗心ゆえに這い上がってゆく様が主に描かれる。後半では、事故で重傷を負ったニキがジェームスへの、始めはネガティブな、後には感謝の気持ちさえ抱いてのライバル心から、治療の苦痛を乗り越え復帰する。


冒頭、オーナーがジェームスのガールフレンドに向かっていわく「男は女が好きだが、車はもっと好きだ」。それを証明するかのような、ニキと後の妻マレーネアレクサンドラ・マリア・ララ)の出会いの一幕が楽しい。あそこで「私が頼んでも?」と言われた時から、彼のレースの中にはいつも妻が居たのかなと思う。
妻との関係についても二人は対照的に描かれている。恋人時代を経て秘かに結婚するニキとマレーネ、結婚しよっかと派手な式を挙げるジェームズとスージーオリヴィア・ワイルド)。ともあれ妻はどちらも超いい女。マレーネは、「初夜」に「幸せは敵だ」なんてこぼす夫に対し「そんなことを言ったらもう勝てない」と穏やかながらきっぱり言い切る。スージーの方は、ジェームスと付き合い始める時も、リチャード・バートンの元に走る時も、他人に「あれは悪い男だ」と言われるも「私がどう思うかの問題」と返しているのが面白い。別れの場での「あなたが悪いんじゃない、あなたはこの期に及んでもあなた、私が欲張りなの」というセリフの素晴らしさよ。
言うなればニキは「よき夫」、ジェームスは「よき一夜の恋人」。レーサーとして、各々それ故の葛藤があるが、どちらも、だからダメってことはない。各々のやり方がある。同様にパートナーにも、各々のやり方がある、あっていい。そういうことが自然に描かれてるのがよかった。


技術者達が盛んに議論している傍を裸足でfuck!と出て行くしかないハントの口癖、いやポリシーは「同じマシンなら俺が一番」。一方、誰よりも車に詳しいニキは「戦闘機に『乗ることのできる』堀越二郎」といった感じ。スポーツは戦争じゃないけど、それでも彼の事故にカメラを回す観客や、復帰インタビューで下衆にも程がある質問をする記者がいる。富士スピードウェイでのレースは、危険な豪雨の中「二人の決戦を待ち望む」何万人もの観客を前に開始される。
ニキ・ラウダは「20パーセントのリスク」を承知の上でレースに臨んでいる人物だ(と強調されている)から、全編に渡ってレーサーの「悲哀」のようなものは無い。しかしレース中の映像、特にヘルメット越しやその内部の映像などは、決してレーサーにしか分かり得ない、恐怖と隣り合わせの世界があることを教えてくれる。当たり前だけど、何たって、あんなに人が居るのに、事故があれば死ぬのは彼らだけなんだから(巻き込まれる可能性はあるにせよ)。


念願の「Fame」になってもライターをかちかち鳴らしているジェームスの胸中は、果たしてどんなものだったろう?この映画は、実在の人物である彼の心境には必要以上に踏み込まない。ただ二人には互いへの強い思いがあった、二人ともそれに支えられて歩んできたということを描くだけ。そのことがはっきり分かった終盤になって挟み込まれる、「本人」達の映像や写真にぐっときた。