ゼロ・グラビティ



酔いやすい私は2D字幕版を後方の席から、具体的には新宿ミラノ1のペアシートにて観賞。なんとか無事に見終えた。せっかくの「体感映画」だから、同居人には申し訳なかったけど…
上映前にちゃんと(作中のジョージ・クルーニーも着用する)オメガのCMを見られたのが嬉しい。どの劇場でも掛かるわけじゃないよね。


(以下「ネタバレ」あり)


「完璧」から程遠い環境で見たにも関わらず、冒頭の長回しには少々頭が痛くなってしまった。しかしスクリーンの中で作業中の主人公ライアン(サンドラ・ブロック)も「気分が悪い」ようなので、これも私なりの「体感」と思うことにする。私は長回しってあまり好きじゃないんだけど、本作の冒頭の場合、自分の体感時間と作中の経過時間とが同じである、と実感できることには意味があった。ああ、数分前までは何てことなかったのに!という絶望がより胸に迫ってくるから。


映画が始まると、まず「宇宙」についての文章が提示される。「宇宙に音を伝えるものは存在しない」との言葉通り、最初に表れる映像には音が無い。たまの「無音」を強調するためなのか、その後は全編に渡って「効果音楽」が流れる。見ながらどうも、博物館の映像展示やプラネタリウムを体験しているような気分になった。また、ライアンが大事に遭遇してわめくも宇宙船の「外」(宇宙視点とでも言おうか)からすれば無音である、という場面が何度かあるんだけど、その度に大好きな「ナイト ミュージアム」の、「ミニチュア人形達が大騒ぎしているがカメラが引くと無音である」という「ギャグ」を思い出してしまい可笑しくなった。


山岳ものや潜水艦ものが好きな私にとって、作中に出てくる「状況」はどこかで見たようなものばかり。マット(ジョージ・クルーニー)は「最後のミッション」中である、ザイル(ロープ)を切断、見えているのに助けられない、狭い艦内をするすると移動、火事の発生と消火、最後のチャンスに賭ける、等々。それらが「宇宙」だとこうなるのか!というだけに止まらない、舞台を変えただけに止まらない、隙の無い描写で見せてくれるんだから面白いに決まってる…のだけど。上手く言えないけど、頭が疲れるのと体が疲れるの、先に体が疲れると頭に血が回らなくなり思う存分楽しめないので、こういう疲労は嫌だなあと思ってしまった。もうちょっとつまらなくていいのにと(笑)


幾多の映画と同様、主人公の人となりや状況ごとの心境を勝手に想像するという楽しみも勿論ある。私にはライアンはとても冷静な人物のように思われた。加えて後ろを振り返らないタイプ…というのは単に、船内で説明書の一冊を出した後にバンドを締め直さないからそう思ったんだけど(笑)ともあれそういう性分のおかげで、火事が起こり、消火器の新たな使用法に気付くという、偶然のラッキーが生まれる。
冒頭のライアンは、本人が言う「毎朝車を運転して仕事に行くだけ」の延長で宇宙までやって来たように見える。マットの危機の際に最初の変化が起こる。「絶対に離さない」と自らの意志を表に出す。その後、辿り着いた国際宇宙ステーションにおいて、宇宙船に絡まったパラシュートを切り離すために船外に出る場面で突如、この映画の中においてはものすごく「大胆」な省略がなされるのでびっくりした。走り始めた彼女の心境を表しているのだろうか。


ラストシーンで水辺に這いつくばったライアンが左手で砂をほじくる、なぜか分からないけど、私だってそうするに違いないと思う。序盤の一幕で、助けてくれたマットの背中を見ながら、彼の軽口に「あなたこそ…」と返す際の彼女のぼんやりさが印象的だったものだけど、あれこれを経て「結果がどうなろうと最高の旅だった」「ありがとう」、この映画はこの境地に辿り着くため、彼女と一緒にこちらもそれを「体感」するための旅だ。確かに「体感」は出来たけど、上記の理由により、そこまで彼女と一体でなくてもよかったかな、というのが私の感想かな(笑)