ウォールフラワー



原作小説は未読。高校1年のチャーリー(ローガン・ラーマン)が、誰かに手紙を書く体裁。友達の居ない「wallflower」だった彼の日常が、上級生のパトリック(エズラ・ミラー)やサム(エマ・ワトソン)との出会いを切っ掛けに変わってゆく。
予告編からは苦手な感じを受けてたけど、楽しく観た。予告じゃ「本とカセットテープ」が並んだだけの画なんて使えないものね。映画ならほんの数分でそれが意味を持ち、心に迫ってくる。
ボウイ様の「Heroes」…の前に、私なんて先日「Something」ナマで聴いちゃったもんね!と思ったものだけど、ポールはウクレレで歌ってたから、「レコード」とは随分違うよなあ(笑)


チャーリーは「作家に向いている」タイプ。初めてのパーティにおいて、薬入りブラウニー(「ブラウニー」ってだけでもうやばい・笑)を食べ、カーペットに座り込んで「面白い」ことを喋り捲る姿にさもありなんと思う。ミキサーを使うサムの前で「ミルクシェイクっていう言葉は面白い、鏡の前で自分の名前を繰り返してるよう」なんて言うから、試してみたいと想像していると、後の場面で彼自身がやって見せてくれる(笑)
そんなチャーリーも、サムの部屋で二人きりの時には「面白い」言葉が出てこない。「ヘレン叔母さんが一番好きだったけど、今は二番目」くらいがせいぜい。「最後」の夜に「相手の幸せを望むだけなら愛とは呼ばない」なんて言われちゃう、そのやりとりには、かけがえのない、同時に取り返しのつかない時間の甘美さにくらくらした。


チャーリーは、進学の件の話し合いの際に恋人に殴られた姉に対し「へレン叔母さんの夫もそうだった」と言い「彼は彼」と返される。卒業生歓迎会のダンスパーティで一人きりのサムに対し「君が来たいなら恋人も来るべきだ」と言う。「好きな人」に対して「忠告」せずにはおれない、真摯な人間なのだ。更には国語教師のビル(ポール・ラッド)に「人はなぜ間違った相手と付き合うのですか?」と質問する(ビルいわく「自分に見合うと思うからさ」)。そんな彼が、自分が「恋愛」の渦中に置かれた途端、自律とは程遠くなっちゃうのが面白い。
大好きなサムから目を離せないチャーリーだが、彼女の「トンネル」時には、「観察し、理解し」て彼女の時間だからと一人にし、自分は前を向く。しかし最後の自分の「トンネル」時には、自分のしたいようにする。サムを見つめられるだけ見つめる。そういう繰り返し、その中での違いがいい。


一番良かったのは、チャーリーと国語教師ビルとの関係。授業初日、挙手せず最後に教室を出るチャーリーにビルいわく「昔から言うだろ、初日は友人が一人出来ればいいって」「それが教師じゃダメですよ」。ジョークにしても生意気!と思っちゃうけど(笑)二人の間にはきちんと「一線」がある。当たり前だけど、教員にとっての「幸せ」は、生徒と仲良くなることじゃなく、生徒を導くこと。最後の授業で挙手をしたチャーリーが(いつも揶揄していた女生徒ももう何も言わない)、帰り際に「差し出がましいようですが…」と今後について訊ねると、「教師に向いてるようだから」と仕事を続ける宣言をするのは、多分チャーリーの影響によるもの。教師の側も「変化」するのがいい物語。
教員といえば、チャーリーがパトリックを初めて見るのは技術の授業で先生の真似をして「ふざけて」いるところ。しかし、パトリックいわく「観察し、理解し」ているチャーリーが言う通り「嫌いならしない」んだろう。だから「卒業前のでかいイタズラ」の時も、先生はひどい顔をしていない。


ハンナ・アーレント」のジャネット・マクティアから巨大美女つながりで、もっと全然カジュアルだけどジョーン・キューザック、好きだけど最近見ないなあと思い出してたとこだから、本作での登場は嬉しかった。でもあの役は、あまり合ってないというか、あまり魅力が活かされてないように思う。