囚われ人 パラワン島観光客21人誘拐事件



2001年にフィリピンのパラワン島で起きた、イスラム原理主義組織による誘拐事件を元に制作。


オープニングは傘を差して小船に揺られるイザベル・ユペール。その顔からは何も読み取れない。少なくとも見ているこちらは「わけがわからない」うちに、夜が白々明ける頃、人々は男達に銃で脅され、幾人かは殺され、ボートに集められ、海の上を連れて行かれる。
冒頭心に残ったのが、人質がボートの上で名前と職業を言わせられる場面(犯人側の目的は身代金の額の見当)。例えばハリウッド映画なら、こうした場面は「登場人物」の紹介も兼ねているものだけど、本作においては、こうした状況で「名前(や職業)を言う」ということの妙さ、のようなものが前面に出ているように感じられたから。


イザベル・ユペールは「3人のアンヌ」同様ここでも「外国人の女」、「french woman」と呼ばれる。終盤、現地のジャーナリストにもらった髪留めとストールを身に着けると、「人質」というより、いかにもリゾート地でカジュアルな格好をしている「フランス女」といった感じ。もっとも、犯人と人質の元に取材が来ようと捕らえられたまま、学校で「歓待」を受けるも(相手は金銭的な見返りも期待してのことだけど)捕らえられたままという「普通じゃない」状況だから、人質が「人質らしくない」のはおかしくないとも言える。状況がこじれていくほど上辺は「普通」に…凪いでいるかのように見える、というのは恐ろしい。
イザベル演じるテレーザは常に冷静だが、五年来の年上の友人が亡くなったのに「埋葬」してもらえない時と、既婚女性が暴行された時には激昂する。いかにもそういう人物なのだろうと思う。また自身の「担当」となった少年兵と日々行動するうち、彼の面倒を見るようになる。現地の方法で傷の手当てをし、膝枕で寝かせ、最後の瞬間まで気遣う。冒頭、年上の友人が少年兵に食事を回すのに「なぜ?」と問い「まだ子どもよ」と返される、その時に受け継いだ遺志を実行しているようでもある。


映画でよく見る「誘拐事件」と本作(この事件)との最大の違いは、犯人と人質が一緒くたに銃撃戦から逃げまどわなければならないこと。過酷なロードムービーでもある。
犯人達は、人質を舟から降ろす際には抱きかかえ、川で体を洗わせる。「布の筒」の使い方が分からないテレーザに業を煮やした一人が、彼女に銃を預けて自ら実演して見せる場面まである。このようにテロリストの「人間性」が強調されているが、私としては、看護師の中から配偶者も恋人もいない女を「きちんと」選んで結婚(肉体関係)を「強要」するというところに、暴力の中にある「配慮」めいたものは所詮は暴力の内、という事が最も端的に表れていると思った。
病院に立てこもることを選んだのも、「攻撃されないはず」だからというのに加え、人質も休める、シャワーも使えると踏んだから。しかしフィリピン国軍は院内の患者やスタッフ、人質の命なぞおかまいなしに撃ってくる。テレーザはフランス大使館に繋がっている電話を渡され「ジュネーブ条約を思い出させろ」と命じられる。フランス語で悲鳴混じりの訴えをする彼女の姿にふと、私も、あるいは誰もがこの混沌の中にあると思う。


人質は当初ヒルやハチに悩まされるが、やがて慣れていく。銃撃戦からは逃げ続けなければならないが、「自然」とはある程度なら共存できる。しかしジャングルに生きる蛇や蝙蝠、さそりや蟻を捉えた映像が何度も挿入されるのには、わざとらしさばかりを感じてしまった。
死んだ友人に虫がたかっているのに(別に食べているわけではない)、人間の方が隙を見せるにせよ受け入れるにせよ、力を抜けば、向こうは色んな形でくっついてくるものだと思う。終盤、彼らが全てに「馴染んだ」頃に、テレーザが野草の実を食べ、おしっこをする(その場面が初めて描写される)のが印象的。


病院に到着し、テレーザが涙と共に口にする二週間ぶりの食べ物は「マジックフレーク」に見えたけど、違うかな?その後もチキンヌードル?やチョコバーなどスナックばかりで、どうにも喉が渇いた。