17歳のエンディングノート



公開初日、新宿武蔵野館にて観賞。


ぼやけた鏡に映る妙な髪形のダコタ・ファニングの顔、彼女は曇りを手で拭い「SEX」と書く。クラブで捕まえたらしき二人組(という描写は無いけど)と台所、というオープニングにドヌーヴとボウイ様の「ハンガー」を思い出した。向こうは生き続けるために、こっちはもうすぐ死ぬというんでやってることだけど。
その後、美しいブライトンの街を走り出す彼女。周りが画になり、やがて彼女も画の一部となる。中盤にも友人と逃げる場面があるんだけど、ダコタの走り方の老成してること。それも悪くない。彼女がシェリー・カーリー役だった「ランナウェイズ」じゃ、クリステン・スチュワートのジョーン・ジェットが走り出すのがオープニングだったなあと思い出す。


ダコタ演じる17歳のテッサは、白血病で余命わずかと宣告されている。「癌マニア」のパパ(パディ・コンシダイン)や「病院にも来ない」ママ(オリヴィア・ウィリアムズ)にはうんざり、「お姉ちゃんが死んだら旅行に行ける?」などと食卓で口にする弟や、「TO DO リスト通りに順番にやらなきゃ」と言ったその舌の根が乾かぬ内に「あんたの彼氏、私のお姉ちゃんと一緒に出掛けたわよ」と聞いてそぞろになっちゃう友人ゾーイと居る時は気が楽だ。リストを消化してゆく日々のさっさとした描写は、つまらなくないけどどうにも心が沿わず、私にはぴんとこないところでBGMが盛り上がるので妙な気持ちになってしまった。


彼女は「TO DO リスト」には無かったこと…恋、におちてしまう。ジェレミー・アーヴァイン演じる「隣の彼」アダムがいい。初対面の時には薪、二度目の時にはママの荷物を持っている。物を持っている男というのはいいものだ。これらの場面は、最後に彼があの場所からテッサを「お姫様抱っこ」して帰ってくることの布石のようにも感じられる。また「私を見て」と言われて勢いよくこちらを向く、海に飛び込む時には(テッサの下着姿じゃなく・笑)彼女と一緒の目船で海を、後には星空を見る瞳が美しい。
テッサはパパに、アダムと毎晩一緒に過ごしたいと持ち出すが却下される。「なぜだか分かるか?彼はまだ子どもだ、頼っちゃいけない。失望するはめになったらどうする?」「まだパパがいるわ」。パパの車の助手席から彼のバイクの後ろに乗り換えても、パパは後ろからずっと着いてきてくれる。その代わり、彼女は二人の涙も受け止めたのだった。


終盤、弟はマジックが上達しているし、ママはPTA総会なんてのに出るようになっているし、アダムも新たなスタートラインに立っている。ゾーイもまた然り(こういう展開って「妊娠」が利用されてるようで嫌いなんだけど)。それらはテッサとの最後の数ヶ月の関わりによるもの。だから見送るのはお互い、テッサの側でもあるし彼らの側でもある。パパだけは変わらず彼女の傍に留まっている、それが良かった。


オリヴィア・ウィリアムズが無理やり金髪にしてる風なのが、スカーレット・ヨハンソンのようで(そういう髪型だと皆彼女に見えるのかもしれないけど・笑)スカヨハが年取ったら好きになるかも、と思った。いま嫌いってわけじゃないけど。ともかく彼女の出演作として「17歳の肖像」に続く邦題「17歳」もの、というだけでも、見てよかったという箱に入れておこう(笑)